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真によい音楽は、終わりまで心に響く

― 美しい余韻が、聴く者の魂を潤す

孔子は、音楽の本質的な美しさと感動の深さについて語った。

魯国(ろこく)の名高い音楽師・摯(し)の奏でる「関雎(かんしょ)」は、
初めから整って美しいが、終盤の調べ(乱)になると、さらに感動が増し、
その音はまるで水が満ちるように耳の奥まで広がって残るという。

それはただ旋律が美しいというだけではなく、
人の感情や徳を呼び覚ます、深く静かな力があるということ。

孔子が音楽を重んじたのは、
それが人の心を和らげ、徳と秩序を養う**「道を完成させる要素」**だったからである。


原文と読み下し

子(し)曰(のたま)わく、師摯(しし)の始(はじ)めは、関雎(かんしょ)の乱(らん)、洋洋乎(ようようこ)として耳(みみ)に盈(み)てるかな。


注釈

  • 師摯(しし):魯国の宮廷音楽師であり、孔子が賞賛した名演奏家。
  • 関雎(かんしょ):『詩経』の最初に収められた詩で、理想の夫婦愛を歌ったもの。儒家における詩と音楽の出発点。
  • 乱(らん):終曲部。転調して余韻を深めるパート。
  • 洋洋乎(ようようこ):水が満ちるように広がるさま。満ち足りて豊かな様子。
  • 耳に盈てる(みみにみてる):音が耳いっぱいに広がり、深く残響すること。
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