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名声より中身。達人とは、内に徳を備えた人のこと

主旨の要約

子張が「道を志す者は、どのようになれば“達人”と呼ばれるのか」と尋ねると、孔子は、単に世に名が知られている人を「達人」とは呼ばないと明言した。達人とは、義を重んじ、人をよく観察し、謙虚に人に接することができる者のことだと語った。


解説

この章句は、「外見や名声よりも、内実と人間性を重んじよ」という深い戒めです。

子張は、「達の人」とは有名になった人だと捉え、

「公の場でも、家庭の場でも、必ずその名が知られるような人のことです」

と答えます。
それに対し、孔子はこう返します:

「それは“聞こえる人”(名声がある人)ではあっても、“達人”とは呼べない」

ここで孔子が提示する「達人」の条件は以下のようなものです:


【達人の五つの資質】

  1. 質直(しっちょく)にして義を好む
     飾らず真っすぐで、正義と道理を心から愛する。
  2. 察言観色(さつげんかんしょく)
     人の言葉をよく聴き、表情や心情を敏感に察知できる。
  3. 慮りて以て人に下る
     人に対して思慮深く、傲らず、謙虚に接する。
  4. 内と外、どちらでも一貫して達している
     公的にも私的にも、誠実に人と関わり、信頼されている。
  5. 虚飾を嫌い、誠実に生きる
     名声のために行動せず、真の徳を追い求める。

一方、「聞こえる人」は見かけだけの仁者(立派そうな人)であり、実際には行動が伴っていないことも多い。
しかしその名声に疑いを持たず、自分でも「当然だ」と思ってしまっている――と孔子は手厳しく指摘します。

この章句は、見かけの善人ではなく、本当に内から誠実な人であれという孔子の強い倫理観を示しています。


引用(ふりがな付き)

子張(しちょう)、問(と)う。「士(し)は如何(いか)にして斯(ここ)に之(これ)を達(たつ)と謂(い)うべきか」。
子(し)曰(いわ)く、「何(なん)ぞや、爾(なんじ)の所謂(いわゆる)達とは」。
子張対(こた)えて曰く、「邦(くに)に在(あ)りても必(かなら)ず聞(きこ)え、家(いえ)に在りても必ず聞こゆ」。
子曰く、「是(こ)れ聞こゆるなり。達に非(あら)ざるなり。
夫(そ)れ達なる者は、質直(しっちょく)にして義(ぎ)を好(この)み、言(こと)を察(さっ)して色(いろ)を観(み)る。慮(おもんばか)りて以(もっ)て人に下(くだ)る。邦に在りても必ず達し、家に在りても必ず達す」。
「夫れ聞こゆる者は、色(いろ)は仁(じん)を取りて行(おこな)いは違(たが)い、之(これ)に居(お)りて疑(うたが)わず。邦に在りても必ず聞こえ、家に在りても必ず聞こゆ」。


注釈

  • 達(たつ)…人間としての完成度が高く、内外ともに徳が行き届いた人物。真に信頼される存在。
  • 聞こゆる(きこゆる)…有名で評判が高いこと。外見や名声にすぎない。
  • 察言観色(さつげんかんしょく)…人の言葉の裏や表情に表れる心の機微を感じ取る力。
  • 色取仁(いろをとりてじんをなす)…外見だけを「仁」のように装い、実際は行いが伴わないこと。

パーマリンク(英語スラッグ案)

  • be-virtuous-not-famous(有名よりも徳を)
  • true-mastery-is-inward(真の達人は内に宿る)
  • substance-over-reputation(名声より中身)

この章句は、現代においても「評価されること」と「本当に価値あること」は違うという、深い教訓を与えてくれます。
SNSやメディアを通じて名声を得やすくなった現代こそ、孔子のいう“達の人”のあり方――謙虚さ、誠実さ、観察力、倫理観が改めて求められています。

1. 原文

子張問、士何如斯可謂之達矣。
子曰、何哉、爾謂達者。
子張對曰、在邦必聞、在家必聞。
子曰、是聞也、非達也。

夫達者、質直而好義、察言而觀色、慮以下人。
在邦必達、在家必達。

夫聞者、色取仁而行違、居之不疑、在邦必聞、在家必聞。


2. 書き下し文

子張(しちょう)、問いて曰く、士(し)は如何(いか)にして斯(ここ)に之(これ)を達(たつ)と謂(い)うべきか。

子(し)曰(いわ)く、何(なん)ぞや、爾(なんじ)の謂(い)う達とは。

子張、対(こた)えて曰く、邦(くに)に在(あ)って必(かなら)ず聞(きこ)え、家(いえ)に在っても必ず聞こゆるなり。

子曰く、是(これ)は聞こゆるなり。達に非(あら)ざるなり。

夫(そ)れ達なる者は、質直(しっちょく)にして義(ぎ)を好(この)み、言(げん)を察(さっ)して色(いろ)を観(み)、
慮(おもんばか)りて以(もっ)て人に下(くだ)る。邦に在りても必ず達し、家に在りても必ず達す。

夫れ聞こゆる者は、色(いろ)は仁を取りて行(おこな)いは違(たが)い、之(これ)に居(お)りて疑(うたが)わず、
邦に在っても必ず聞こえ、家に在っても必ず聞こゆ。


3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)

  • 「士はいかにして達と言えるか」
     → 君子(志を持つ士)は、どうすれば“達人(立派な人物)”と呼ばれるのでしょうか?
  • 「邦にいても、家にいても必ず聞こえる」
     → 国にいても家庭にいても名が広まり、評判が立つことではないか?
  • 「それは“聞こえる(有名になる)”ことであって、“達”ではない」
     → 世間に名が知られていることと、人格的に達していることは別である。
  • 「真の達人とは…」
     → 正直で義を愛し、人の言葉や表情をよく読み取り、へりくだる心を持つ人物である。
  • 「評判の者は…」
     → 表向きには仁徳を装い、実際の行いはそれに反し、自分の矛盾にも気づかない。
     それでも名だけは広まってしまう。

4. 用語解説

  • 士(し):志を持つ人物。儒家における修養と社会的使命を持つ者。
  • 達(たつ):徳・人格・判断力などが“達成された人”、いわば内面的成熟を意味する。
  • 聞(きこ)ゆ:評判・名声・外聞。人から名前が聞かれること。
  • 質直(しっちょく):誠実で率直な性格。
  • 好義(こうぎ):義(道理・正しさ)を愛すること。
  • 察言觀色(さつげんかんしょく):言葉と表情から相手の心をよく見抜く能力。
  • 慮以下人(おもんばかりて もって ひとに くだる):謙虚に配慮して人に接すること。
  • 色取仁而行違(いろは じんを とって おこないは たがう):見た目は仁(善良)に見せるが、行動は異なる=偽善。

5. 全体の現代語訳(まとめ)

子張が孔子にこう尋ねた:

「志ある者(士)は、どのような人を“達人”と呼べますか?」

孔子は聞き返した:「あなたの言う“達”とは何を意味するのか?」

子張は答えた:「国にいても家庭にいても、必ず名が聞こえる人のことです。」

孔子はこう答えた:

「それは“聞こえる=有名になる”ことにすぎず、“達する”こととは違う。

真に“達した人”とは、誠実で義を愛し、相手の言葉や感情をよく見抜き、
人に対して謙虚な態度で接する者である。

こういう人は、どこにいても“達している”と言える。

一方、ただ評判ばかりの者は、表面では仁を装っているが、行いは裏腹である。
それに気づきもせず、あちこちで名ばかりが聞こえるのだ。」


6. 解釈と現代的意義

この章句では、**「本物の徳」と「見せかけの評判」**の違いを、孔子が厳しく指摘しています。

  • 「達」とは“有名”になることではなく、“内面的な完成”である
     → 評判・名声は外的評価。達とは、自分の中に誠実さと義を持ち、それを実践すること。
  • “外見”と“実態”が一致してこそ、真の人物
     → 偽善的な人物は、見た目や言葉は立派でも、行いが伴わず、それに気づかない。
  • 「人の心を察し、謙虚に接する」力も“達”の一部
     → 知識や行動だけでなく、対人感覚や配慮力も、人格的完成には欠かせない。

7. ビジネスにおける解釈と適用

(1)「評価されること」より、「実際に誠実であること」

  • 名刺の肩書・表彰・社内評判よりも、部下や顧客が“本当に信頼できるか”どうかが重要。

(2)「言葉や態度の裏側に、本心と行動が一致しているか」

  • 表面だけ“良い人”に見えるリーダーではなく、実際の行動が信頼につながる人材を育てるべき。

(3)「察言観色」「下に慮る」= EQ(感情的知性)の重要性

  • 周囲の状況を察し、謙虚に人と接する力は、リーダーの大切な資質。
     → “達した人”は、地味だが確実に信頼される。

8. ビジネス用の心得タイトル

「聞こえるより、達してあれ──中身で信頼を築く人物に」


この章句は、**“見た目や評判ではなく、本物の中身を備えた人こそが真に価値ある人材である”**という、
孔子の人格主義・徳主義の真髄を示しています。

現代社会でも、「中身がないのに目立つ人」と「目立たなくても信頼される人」が対比されますが、
孔子は明確に後者にこそ“達”という名を与えました。

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