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■原文
アルジュナは言った。
「私は友人だと思い、無礼にも言った。
『おおクリシュナよ。おおヤーダヴァよ。おお友よ』と。
私があなたの偉大さを知らないで、不注意から、また親愛の情から言ったことを、あなたにお詫びする。」
(第11章 第41節)
■逐語訳(一文ずつ)
- 私は友人だと思い、無礼にも言った。
→ あなたをただの親しい友人と思って、軽々しく接してしまいました。 - 『おおクリシュナよ。おおヤーダヴァよ。おお友よ』と。
→ 呼びかけた言葉には、敬意を欠いていました。 - 私があなたの偉大さを知らないで、不注意から、また親愛の情から言ったことを、あなたにお詫びする。
→ あなたの真の神性を理解せず、無意識や親しみからした非礼を心からお詫び申し上げます。
■用語解説
- クリシュナ(Kṛṣṇa):ヴィシュヌ神の化身。親しみを込めた呼びかけでもある。
- ヤーダヴァ(Yādava):クリシュナの属する氏族名(ヤド族)の呼称。
- おお友よ(サカー):親しい仲間としての呼びかけだが、神への称呼としては畏敬に欠ける表現。
- 不注意(プラーマーダ):認識不足や軽率な行動を意味する。
- 親愛の情(スネーハ):友情や愛情に由来する感情的な行動。
■全体の現代語訳(まとめ)
私はあなたを友人と思い込み、敬意を欠く言葉を口にしてしまいました。
「おおクリシュナよ、おおヤーダヴァよ、おお友よ」と、何度も軽々しく呼びかけてきたのです。
あなたの神聖な偉大さを知らずに、親しみや無知から犯してきた数々の無礼を、今ここで心からお詫びいたします。
■解釈と現代的意義
この節は、「人間的な親しみ」と「神聖さへの敬意」の違いに目覚める瞬間を描いています。
アルジュナは今までクリシュナを友人・戦車の御者として接してきましたが、その本質が宇宙の主であることを目の当たりにし、無知からの言動に対して反省と敬虔な謝罪を述べます。
これは、目の前にいた「親しい存在」の本質を理解した時、人は敬意と感謝の態度を取るべきであるという教訓とも読めます。
■ビジネスにおける解釈と適用
- 親しき仲にも敬意を忘れるな。
→ 長年の付き合いや信頼関係があっても、立場・本質への敬意は失ってはならない。 - 相手の「本質的価値」に気づいた時、素直に謝り、態度を改めよ。
→ 地位や実力を後から理解した場合も、プライドを捨ててリスペクトと謝罪を示すことが信頼を築く。 - 役割や肩書の背後にある「真の力・責任」を見抜け。
→ ただの同僚や部下に見えても、実は会社全体に深い影響を与える存在であることもある。
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