MENU

飾りを超えて、心は自由に在れ


目次

📖引用原文(日本語訳)

髪を分けて八房にしてあり、両眼には膏油が塗られている。
それは愚人を迷わすには足るが、賢者はそれに対する執著を離れる。
――『ダンマパダ』 第二七章「観察」第二十四節


🧩逐語訳

  • 髪を分けて八房にしてあり:精緻に整えられた髪型。装いの一種として、人を魅了する象徴。
  • 両眼には膏油が塗られている:目を潤し美しく見せる化粧。視覚的魅力を高める手段。
  • 愚人を迷わすには足る:装飾に心を奪われ、真理を見失う人には、それで十分に惑わす力がある。
  • 賢者はそれに対する執著を離れる:見た目に囚われることなく、内面の本質を観る智慧の眼を持つ者は、惑わされず自由である。

🧠用語解説

  • 八房(はちぶさ):女性の髪を細かく分けて丁寧に結い上げる美的な形式。美意識の象徴。
  • 膏油(こうゆ):目元を潤す香油や化粧。インド伝統における美の演出。
  • 愚人(バールカ):見かけに執着し、真理を見ようとしない者。
  • 賢者(パンディタ):智慧と離執を持ち、真理を見抜く者。

🪷全体の現代語訳(まとめ)

手の込んだ髪型や目元を美しく飾る化粧は、人々の目を惹きつけ、魅了する。
そうした外面的な魅力は、見た目に価値を置く者にとっては強力な誘惑となる。
しかし、賢者はそれを見た上で、「それだけではない」「本質ではない」と理解している。
彼らの心は、魅力の有無にかかわらず、落ち着いて自由である。


🌱解釈と現代的意義

この句は、「美の存在を否定せず、それにとらわれない在り方」を説いています。
現代においても、服装・メイク・身だしなみは社会生活の中で大切な要素ですが、
それに価値のすべてを置いたり、評価の基準にしたりすることは、思考の浅さを生みます。

仏教が語る「離執」は、**「否定」ではなく、「自由」**の態度です。
賢者は、美しさを見ながらも、それに捕らわれず、静かに真理と本質を見ているのです。


💼ビジネスにおける解釈と適用

観点実務への応用例
面接・評価の眼差し第一印象や外見的な「感じの良さ」だけで評価せず、内面の動機・行動の一貫性を重視する。
パフォーマンスと本質の見極め派手なプレゼンや演出ではなく、業務への本質的貢献やチームへの信頼度を重視する文化を育てる。
自分の魅せ方と客観性のバランス自己表現を適切に行いながらも、自己執着や過度な演出には冷静な距離感を持つ。
広告・PRの倫理顧客の「表面の魅力」に頼らず、誠実な価値訴求と長期信頼を軸に構築する姿勢が信頼を生む。

📝心得まとめ

「見ることと、惑わされぬことは違う。賢者の心は、飾りを超えて澄んでいる」

外見に魅了されるのは自然だが、そこにとらわれるか否かは智慧の違い。

賢者は美しさを否定しない。だが、それに心を預けることもしない。

「見ても執着せず」、この心の姿勢こそが、真の自由であり、成熟である。


この第二十四節は、第二十三節と対をなす「外見と智慧」の集大成ともいえる内容です。
「観察」章の終盤として、真の観察者とは誰かを静かに示すこの節の意義は深いものです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次