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感情に傾かず、公正であれ


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■引用原文(書き下し文付き)

原文:
所謂斉家在脩其身者、
人之其所親愛而譬焉、之其所賤悪而譬焉、之其所畏敬而譬焉、之其所哀矜而譬焉、之其所敖惰而譬焉、
故好而知其悪、悪而知其美者、天下鮮矣。
故有之、曰、人莫知其子之悪、莫知其苗之碩、此謂身不脩不可以斉其家。

書き下し文:
いわゆる「その家を斉うるはその身を脩むるに在り」とは、
人はその親愛するところに於いて偏り、その賤しみ悪むところに於いて偏り、
畏れ敬うところに於いて偏り、哀れみ憐れむところに於いて偏り、
見くだして怠るところに於いて偏る。
ゆえに、好んでもその悪を知り、憎んでもその美を知る者は、天下にまれである。
それゆえ、言われている、「人は自分の子の悪を知らず、自分の苗の大きさを知らない」と。
これが、身を修めなければ家を斉(ととの)えることはできない、という意味である。

(『礼記』大学 第四章)


■逐語訳(一文ずつ)

  1. 「家庭を整えるには、まず自分自身を修めよ」とは──
  2. 人は親しい相手に対しては、無意識に甘くなり、
  3. 嫌いな相手に対しては、過度に否定し、
  4. 敬う相手には遠慮しすぎ、
  5. 哀れむ相手には同情で判断が鈍り、
  6. 見くだしている相手には軽視してしまうものだ。
  7. だから、好んでいても欠点を見抜き、嫌っていても長所を見抜ける人は、世の中にめったにいない。
  8. 「人は自分の子の悪を知らず、自分の苗(成長)を知らない」と言われるのも、この偏りのせいである。
  9. これが、「自分を修めなければ家庭は整わない」という教えの意味である。

■用語解説

  • 斉家(せいか):家庭を和合させること。儒教では「修身斉家治国平天下」の第二段階。
  • 親愛・賤悪・畏敬・哀矜・敖惰:感情に基づく人間関係の5類型(親しみ・嫌悪・尊敬・哀れみ・軽視)。
  • 譬(僻)る:偏る。主観的感情によって判断が傾くこと。
  • 知其悪/知其美:好悪の感情に流されず、相手の欠点や長所を冷静に見極めること。
  • 苗之碩:「苗」は若い作物=子どもや育成中のもの。「碩」は大きいこと。自分の成長や成果に気づかない比喩。

■全体の現代語訳(まとめ)

「家を整えるには、まず自分自身を修めることが必要だ」というのは、人はつい感情に流されて偏った判断をしてしまうからである。

親しい人には甘くなり、嫌いな人には必要以上に厳しくなり、尊敬する人には言うべきことが言えず、哀れな人には過保護になり、見下す相手には冷たく接してしまう。

このような感情による偏りを克服し、常に公正な視点で人を見る力がなければ、家庭(あるいは組織)を正しく治めることはできない。


■解釈と現代的意義

この章は、「誠意」があっても、それが感情によって歪んでしまう現実を直視し、「自己修養の深化」を求めるものです。

とくに、家庭やチームといった身近な人間関係においては、感情が入りすぎて冷静な判断ができなくなることが多い。その結果、甘やかし・無関心・過干渉・権威への屈服・冷遇などの形で、バランスを欠いた対応になってしまいます。

だからこそ、真のリーダーシップや家長たる責任は、「感情を正す内面的努力」にあるとされるのです。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
人事評価・部下育成親しい社員を贔屓し、苦手な部下に厳しすぎるなどの偏見は、チームの信頼と成長を損なう。誠実な自己修養による「正しい評価眼」が求められる。
感情のマネジメント感情に支配されると、公正な意思決定ができなくなる。リーダーは「感情が湧いたときこそ冷静である訓練」が不可欠。
家庭と仕事の両立家族に対する「愛ゆえの甘さ」が子どもや配偶者の成長を阻むこともある。家庭でも職場と同様に「節度ある愛情」が必要。
フィードバックと指導好き嫌いを超えて、全員に対して「厳しさと優しさ」のバランスを保つことで、信頼されるマネジメントが実現する。

■心得まとめ(ビジネス指針)

「愛も嫌悪も、判断を鈍らせる。公正は修養の先にある」

身近な人に対してこそ冷静に、公平に。感情の傾きを克服したとき、初めて家庭も組織も本当に整う。


この章は「斉家」という儒教的理想の出発点として、「感情の修養」がいかに重要かを鋭く示しています。

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