つまらない小人から嫌われ、悪口を言われるのはかまわない。
しかし、そんな小人の気に入るようなふるまいをし、ご機嫌を取って好かれてしまうようではむしろ危うい。
なぜなら、小人とは目先の損得や私情で動く人物のことであり、その賞賛は浅く、迎合すれば自らの品格を損ねるからである。
一方で、立派な人格を備えた君子からShissekiされ、指摘されるのは良いことである。
君子は道理や誠実さを重んじるがゆえに、正すべきところははっきりと責める。
逆に、君子に何も言われず包み込まれてしまうような関係は、期待すらされていない状態かもしれず、それは自分が成長を止めてしまっているサインともいえる。
つまり――
- 浅い人間に気に入られることよりも、信頼ある人間から誤りを正されることを尊べ
- 誰に褒められるかより、誰にしかられているかが、自分の価値を決める基準となる
という、評価を受ける相手の“質”を見極めよという教えです。
原文(ふりがな付き)
「寧(むし)ろ小人(しょうじん)の忌毀(きき)する所と為(な)るも、
小人の媚悦(びえつ)する所と為る毋(なか)れ。
寧ろ君子(くんし)の責修(せきしゅう)する所と為るも、
君子の包容(ほうよう)する所と為る毋かれ。」
注釈
- 小人(しょうじん):自分の私利私欲ばかり考え、浅はかな判断で行動する人物。
- 忌毀(きき):嫌われたり悪口を言われること。攻撃されること。
- 媚悦(びえつ):おべっかを使い、相手のご機嫌を取って好かれること。
- 君子(くんし):道理と誠実さをもって人間性を高めようとする立派な人物。
- 責修(せきしゅう):誤りを正すために責められること。建設的なしっせき。
- 包容(ほうよう):受け入れてくれることだが、ここでは「見放されつつ温かく流されてしまう」状態を指す。
この条は、“誰に褒められるか”よりも“誰にしかられるか”が人格を映す鏡であることを教えています。
現代においても、SNSなどで浅い承認を求める傾向がありますが、むしろ耳の痛い言葉をくれる賢者の存在こそが、自分を高めてくれる恩人なのです。
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