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信仰なき行為は、実りなき空虚に過ぎない

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■引用原文(日本語訳)

「信仰なしに供物を焼べ、布施をし、苦行し、行為をしても、それは『サットでない』と言われる。アルジュナよ、それは現世においても来世においても〔成果が〕ない。」
――『バガヴァッド・ギーター』第17章 第28節

■逐語訳

信仰(シュラッダー)を欠いたままで、
供物(ハヴィ)を捧げたり、布施(ダーナ)を行ったり、苦行(タパス)に励んだとしても、
それらの行為は「サット(真・善・実在)」とは呼ばれない。
アルジュナよ、そのような行為には、
この世でも、来世でも成果や恩恵はもたらされない。

■用語解説

  • 信仰(シュラッダー):心からの信頼・敬虔さ・誠意。単なる宗教的信仰に限らず、人生や善き行為への深い内的な共鳴と覚悟を指す。
  • 供物を焼べる(供犠):神に供え物を捧げる祭祀行為(ヤッニャ)のこと。形式ではなく心が重要とされる。
  • 成果がない(アサット):現世における実りもなく、死後に得られる功徳もない。行為として“空”であること。
  • 現世・来世:物質的世界と霊的次元の両方を含む。どちらにおいても意味がないという徹底した否定。

■全体の現代語訳(まとめ)

信仰や誠意のないまま形式だけの祭祀や布施、苦行を行っても、
それらは「サット(価値あるもの)」とは見なされない。
心のこもっていない行動は、この世でも来世でも、本当の意味での成果や祝福は得られない

■解釈と現代的意義

この節は、形式だけの行動では魂は救われず、本質は“信仰=誠意ある心”にあるということを説いています。
どんなに立派なことをしているように見えても、動機が不純だったり、惰性・虚栄・偽善から発せられたものなら、
それは“サット”――真・善・実在――とは無縁であり、実質的に意味を持たないのです。
現代でも、形だけの努力、形だけの貢献、見せかけの倫理などが通用しないのは、内面の真摯さが行動の価値を決めるからです。

■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
信頼と成果の関係行為がどんなに立派でも、そこに信念や誠実さがなければ、部下にも顧客にも響かず、長期的な信頼を得られない。
CSRやSDGsの姿勢社会貢献やサステナビリティも、真摯な姿勢なしでは“ポーズ”と見なされ、むしろ逆効果になる。
自己成長の鍵成長につながる努力とは、信念を持って真剣に取り組んだ経験であり、上辺だけの行動には実りがない。
誠実なマネジメント管理職やリーダーが行動の裏に本気の信念を持っているかどうかが、組織の士気と文化に大きな影響を与える。

■心得まとめ

「信仰なき行為は、形だけの虚しさに過ぎない」
人は、信念をもって動くときにこそ、その行為に“魂”が宿る。
形式ではなく誠意、行動ではなく動機が、真の価値を決める。
ビジネスにおいても、信頼されるのは、意志と信条をもって誠実に行動する者だけである。
内に「なぜそれをするのか」という“信仰”なき行動は、いかに見た目が立派でも、サットではない。


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