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忙しすぎず、暇すぎず――苦労の中に人生の味わいがある

人生において、あまりにも時間を持て余していると、
余計な雑念が湧き出て、つい良くない方向へと心が傾いてしまう。

反対に、忙しさに追われすぎると、
今度は自分の本来の心――“真性”が現れにくくなってしまう。

だからこそ、志ある人(士君子)は、
心身を高めようとする向上心や、自分に課す節度を持ちつつも、
風月を愛でるような、人生の風流や楽しみを忘れてはならない。

苦労することに価値を見出しながらも、
その中でしっかりと「楽しむ」ことを心得る。
それが、自分らしい人生を築く鍵である。


原文とふりがな付き引用

人生(じんせい)太(はなは)だ間(ひま)なれば、則(すなわ)ち別念(べつねん)窃(ひそ)かに生(しょう)じ、
太だ忙(いそが)しければ、則ち真性(しんせい)現(あら)われず。
故(ゆえ)に士君子(しくんし)は、身心(しんしん)の憂(うれ)いを抱(いだ)かざるべからず、
亦(また)風月(ふうげつ)の趣(おもむき)に耽(ふけ)らざるべからず。


注釈

  • 太だ間なれば:時間がありすぎてしまえば。
  • 別念窃に生ず:雑念・邪念・余計な考えがひそかに湧いてくること。
  • 太だ忙なれば:忙しすぎれば。
  • 真性現れず:本来の自然な自分が表に出てこなくなる。
  • 士君子:志ある立派な人。徳や教養を高めることを目指す人物。
  • 風月の趣:自然や文化に触れて味わう風流・趣きのある生き方。

関連思想

  • 『大学』や『論語』でも「暇すぎること」の弊害について述べられている。
  • 貝原益軒は『養生訓』において「身は常に労すべし、やすめ過ごすべからず」と述べ、節度ある労働と心の楽しみを健康の秘訣とした。
  • アランの『幸福論』でも「幸福は意欲し、創造することによってのみ得られる」とあり、内的充実と楽しみの両立が強調されている。
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