貞観八年、桂州都督・李弘節が亡くなった後、その遺族が珠玉を売りに出したことが朝廷に伝わった。
太宗はこれを聞き、朝臣たちに向かって、「李弘節は生前、清廉だとされていたが、遺族が財貨を持っていたとなれば、その清廉さを推挙した者にも責任があるのではないか」と厳しく述べた。
すると、侍中・魏徴が諫言した。
「陛下は、李弘節が穢れた生活をしていたと疑われますが、彼が賄賂を受け取った話は一切聞いたことがありません。
一方で、屈突通や張道源は生涯にわたり忠義を尽くし清廉を貫いたにもかかわらず、子どもたちは貧困に苦しんでおり、陛下はその件に触れられたことがありません。
李弘節は国に功績を立て、在任中に多くの褒美も受けた。
遺族が多少の財を残すのは不思議なことではなく、珠玉を売ったからといって罪を問うべきではありません。
むしろ陛下は、善人の家を慰問せず、疑いをもってその善を覆そうとしておられます。
これは“悪を憎む心はあっても、善を愛する心が薄い”ということであり、
見識ある者が聞けば、陛下を非難するでしょう」
この忠言に対し、太宗は自らの手を撫でながら反省した。
「思慮なく発言してしまった。言葉の難しさを痛感する。李弘節の遺族や推挙者は責めてはならぬ。
また、屈突通と張道源の遺児には、それぞれ官位を授けよ」と命じた。
引用(ふりがな付き)
「雖(いえど)も悪(あく)を疾(にく)むに疑(うたが)い無きも、是(これ)また善(ぜん)を好(この)むこと篤(あつ)からず」
「談(だん)やすからず。言(ことば)は思(おも)わざるにして出(い)ずれば、必ず過(あやま)ちあり」
注釈
- 李弘節(り・こうせつ):桂州の都督。生前は清廉とされたが、死後に遺族が宝飾を売ったことで誤解を招いた。
- 魏徴(ぎ・ちょう):唐太宗の諫臣として知られ、正義感と理知的な忠言で政道を導いた人物。
- 屈突通・張道源:いずれも高潔な忠臣。死後、その子らは困窮していたが、魏徴の進言により救済された。
- 善を好まず(ぜんをこのまず):儒教的に重要な観念で、正義を重んじると同時に、徳を称え保護することも為政者の務めとされる。
パーマリンク(英語スラッグ)
balance-justice-with-kindness
「正義と寛容の両立」をテーマとしたスラッグです。
代案として、love-good-as-much-as-you-hate-evil
(悪を憎むごとく善を愛せ)、do-not-punish-on-suspicion
(疑いで罰するな)なども可能です。
この章は、「為政者が悪を憎むことと同じくらい、善を守り愛する気持ちを持たなければならない」という極めて重要な統治理念を説いています。
魏徴の指摘は、正義の名のもとに偏狭になる危うさを突き、太宗の度量と柔軟な修正能力を引き出した好例です。
以下は『貞観政要』巻一、貞観八年における「桂州都督・李弘節の死後と魏徴の諫言」についての整理・注釈です。
貞観政要 巻一「李弘節の死と魏徴の正論」
1. 原文(復元)
貞觀八年、先是桂州都督李弘節以貞愼聞、及身歿後、其家賣珠。
太宗聞之、乃宣於朝曰、「此人生平、宰相皆言其清廉。今日如此、舉者豈得無罪。必當深理之、不可輕也」。
侍中魏徵承間言曰、「陛下生前稱此人清廉、未見受財之跡。今聞其妻子賣珠、將罪舉者、臣不知所謂。
自古以來、爲國盡忠、守節不渝者、屈突通・張玄素而已。屈突通之子三人來朝、有一匹羸馬。張玄素之子、不能自立、亦未見一言稱之。
今弘節爲國立功、身後大蒙賞賚。居官至終、不聞貪殘。其妻子賣珠、未爲有罪。審其真者、無庸存問;疑其濁者、旁責舉人。
雖云疾惡不疑、是亦好善不篤。臣竊思之、未見其可。若有識者聞之、必生橫議」。
太宗撫掌曰、「朕素不深思、今有此語、方知談不容易。並勿問之。其屈突通・張玄素之子、宜各與一官」。
2. 書き下し文
貞観八年、先に桂州都督・李弘節、貞愼にして聞こえたり。身歿した後、其の家、珠を売る。
太宗これを聞きて、朝廷にて宣して曰く、「此の人、平生、宰相皆その清廉を言へり。今かくの如し、これを推挙した者に罪なからんや。必ず深く理むべし、軽々しくすべからず」。
侍中・魏徴、間(かん)を承けて言へらく、「陛下、平生、此の人を清廉と称し、未だ財を受くるの跡を見ず。今、その妻子が珠を売るを聞き、これをもって推挙者を罪する、臣にはその意が分かりません。
古よりこのかた、国家に尽忠し、節を守りて変わらざる者、屈突通と張玄素の二人のみ。
屈突通の子三人来朝すれど、僅かに羸馬一匹を有す。張玄素の子、立つこと能わず、未だその功を称する一言をも聞かず。
今、弘節は国家のために功を立て、死後、恩賞を賜る。官に居て卒するも、貪欲と聞かず。
その妻子が珠を売る、罪とすべきにはあらず。もし真に清廉な人ならば、何ぞ取り沙汰するを要せん。もし濁るを疑うて、これを挙げた者を罪すれば、たとえ悪を憎むといへども、善を好むに篤からず。
臣ひそかに思うに、是れ良策にあらず。もし見識ある者これを聞かば、必ず異議を生ぜん」。
太宗、掌を撫して曰く、「朕、素より思慮足らず、今この語ありて、談ずること容易にあらずと知る。これを問ふことなかれ。屈突通・張玄素の子には、各一官を与ふべし」。
3. 現代語訳(逐語)
- 貞観八年、桂州都督の李弘節が清廉であると名声を得ていたが、死後に家族が宝石(珠)を売った。
- これを知った太宗は、「この人物は生前、宰相たちから清廉と称されていたのに、今このような状況とは。彼を推薦した者にも責任があるのではないか。しっかり調査すべきであり、軽々に断じてはならぬ」と言った。
- すると侍中の魏徴が進み出て言った。「陛下は生前、李弘節を清廉と称し、その金銭の受領は見られなかった。
- 今その遺族が生活のために宝石を売ったとして、それで彼を推薦した者に責任を問うというのは、筋が通りません。
- 古今、国家に尽くし節義を貫いた者は屈突通と張玄素の二人くらいです。
- 屈突通の子は三人が宮中に参上しましたが、痩せ馬一頭しか持っていなかった。張玄素の子は生活に困窮し、人からも称賛されることもない。
- 弘節も国家に尽くし、死後には恩賞を受けましたが、在職中に私腹を肥やした話は聞きません。
- 妻子が生計のために宝石を売ったことで、本人や推薦者に罪を問うのは筋違いです。
- 真に廉潔な者であれば問う必要はなく、濁ったと疑って推挙者を責めることは、悪を嫌うと称しながら、善を愛する心が不足している証です。
- よく考えてみると妥当ではなく、見識のある者がこれを聞けば必ず異論が出るでしょう」。
- 太宗は手を打って、「自分は十分に考えていなかった。今この話を聞いて、言葉を扱うことの難しさを知った。もうこの件は追及するな。屈突通と張玄素の子には官職を与えよ」と命じた。
4. 解釈と現代的意義
この一節は、「事実と評価を混同しないこと」「公正な人事判断の重要性」「正直者が損をしない組織文化の必要性」を示しています。魏徴は、生活苦によって遺族が財産を売ったという「表面的な現象」によって、生前の忠誠や清廉さを否定することは誤りであると諫言しました。
5. ビジネスにおける解釈と適用
- 評価は行動の全体像を見て行うべき:一時的・表面的な出来事に惑わされず、長年の貢献や姿勢を見て判断する。
- 部下の推薦や過去の評価に対しても慎重な対応を:誰かを推薦したこと自体を軽率に責めない姿勢が、健全な提案文化を保つ。
- 退職・引退後の処遇も含めた信頼関係の構築:過去に尽力した者・その遺族に冷たくせず、信義を守る文化は組織への忠誠心を高める。
6. ビジネス用の心得タイトル
「忠を見抜く眼、善を忘れぬ心 ― 表面に惑わされず、誠を評価せよ」
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