■ 引用原文(『ダンマパダ』第八章「ことば」第九偈)
すでに(他人が)悪いことばを発したならば、
(言い返すために)それをさらに口にするな。
(同じような悪口を)口にするならば悩まされる。
聖者はこのように悪いことばを発することはない。
愚かな者どもが(悪いことばを)発するからである。
■ 逐語訳
- すでに悪いことばを発したならば:相手が悪口・侮辱・中傷などの言葉を先に放った場合でも、
- それをさらに口にするな:自分がそれを繰り返したり、言い返したりしてはいけない。
- 口にするならば悩まされる:反応することで、自分自身の心も苦しみに巻き込まれる。
- 聖者は…発しない:修養のある者、智慧を備えた者は、悪口に決して悪口で返すことをしない。
- 愚かな者どもが発する:悪い言葉は無知と煩悩に満ちた者の特徴であると明言している。
■ 用語解説
- 悪いことば:誹謗中傷、皮肉、侮辱、陰口、怒りを含む言葉。仏教では「口の悪業」に分類される。
- 悩まされる(ドゥッカ):心の平安を失い、怒り・後悔・葛藤などの苦しみに囚われること。
- 聖者(アーリヤ):真理に目覚め、智慧と慈悲を備えた人。煩悩に支配されず、冷静な言動を貫く者。
- 愚かな者(バーラ):真理を知らず、煩悩に振り回されて行動する人。仏教における「無明」の象徴。
■ 全体の現代語訳(まとめ)
誰かがあなたに対して悪い言葉を発したとしても、それに言い返したり、同じような悪い言葉を口にしてはならない。
もし言い返せば、自分の心もまた苦しみの中に巻き込まれるからである。
聖なる人は決してそのような応酬をしない。それは、悪しき言葉を発するのは無知なる者の行いであり、
その愚かさに同調しないのが智慧ある者の姿だからである。
■ 解釈と現代的意義
この偈は、**「反応の中にこそ人格があらわれる」**という仏教の実践倫理を示しています。
人から悪しき言葉を投げつけられたとき、本能的には怒りや反発が湧きます。
しかしその感情に流されて応じれば、相手と同じレベルに堕ち、心の平安を自ら手放すことになります。
一方で、悪意に対して沈黙・無言・理解・慈悲で応じる姿は、人格の高さと精神の成熟の証です。
このような態度が、真の聖者、あるいはリーダーとしての資質を形づくります。
■ ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
感情のコントロール | 批判的なメールや攻撃的な態度に対して、冷静かつ論理的に対応すれば、周囲の信頼と評価が上がる。 |
組織内の人間関係 | 嫉妬や陰口を向けられたときに無用な対立に乗らず、成熟した対応をすれば、長期的な人間関係が築ける。 |
クレーム対応 | 感情的な顧客に対し、言い返すのではなく共感と配慮を持って接すれば、信頼回復のチャンスになる。 |
リーダーの姿勢 | 誹謗や不満に反応せず、問題の本質に集中するリーダーは、組織に安定と尊敬をもたらす。 |
■ 心得まとめ
「悪意に反応すれば、自らを貶める。沈黙と慈悲が、智慧の証である」
他者の悪口に言い返すことは、自己の品位を損なうことにほかなりません。
言い返さず、心を守り、言葉を選ぶことこそが、強さと智慧の表現です。
ビジネスにおいても、挑発的な言動や批判への反応があなたの品格を測る鏡となります。
「悪に染まらず、沈黙によって超える」姿勢が、真のプロフェッショナリズムなのです。
コメント