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真の恥を知り、心の軸を保て


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📜 引用原文(日本語訳)

第二二章 地獄 三一六偈
恥じなくてよいことを恥じ、恥ずべきことを恥じない人々は、邪な見解をいだいて、悪いところ(=地獄)におもむく。
――『ダンマパダ』第二二章「地獄」三一六偈


🔍 逐語訳

  • 恥じなくてよいことを恥じ:正しいことや道義的な行為に対して、世間の目や風潮を恐れて恥じる。
  • 恥ずべきことを恥じない:不道徳や不正を行いながら、それを当然のように開き直る。
  • 邪な見解(ミッチャー・ディッティ):真理から外れた誤った価値観。自己中心・反倫理的な思想。
  • 悪いところ(地獄)におもむく:このような誤った認識と行動が、精神的・霊的な破滅をもたらす。

🧩 用語解説

  • 恥(ヒーリ):仏教における重要な徳の一つ。道徳的誤りを恥じる心。自己抑制の要。
  • ミッチャー・ディッティ(邪見):真理や道徳に反する見解。たとえば「善悪はない」「利己こそ最上」など。
  • 地獄(ナラカ):心が誤った方向に進んだ末の結果としての苦しみの世界。現世的にも象徴的に用いられる。

🗣️ 全体現代語訳(まとめ)

本来恥じる必要のない正しい行いを恥じ、逆に、明らかに誤った行いを恥じようとしない者は、誤った思想に染まり、やがて大きな苦しみを受ける運命にある。
正邪の基準を失うことは、人間の最も危険な堕落のはじまりである。


🧠 解釈と現代的意義

この偈は、「価値観の転倒による崩壊」を警告しています。
現代社会においても、正直であること、慎ましくあること、誠実であることが「損」や「ダサい」とされる風潮が時にあります。
一方で、見栄・利己・不正が「賢い生き方」と賞賛される場面も少なくありません。

そうした環境において、本来の善悪・恥の基準を見失ったとき、人は自らを堕落へと導くのです。
だからこそ、外的な流行や評価ではなく、内的な道徳感覚・良心こそが人生の軸になるべきだと、この偈は教えています。


💼 ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
倫理的判断力周囲が黙認しているからといって、不正を正当化しない。倫理的正しさを自ら判断する力が重要。
社内文化「声を上げること」が恥、「忖度」が美徳という文化は、組織を内側から腐らせる。
リーダーの責任「部下の意見を聞くのは弱さ」「謝るのは負け」などの誤った価値観は、破滅を招く指導の形。
持続可能な信頼一時的な得や保身ではなく、長期的に見て自分を誇れる判断と行動こそが信頼を築く。

🧘 心得まとめ

「恥を恥じぬ者に、真実は近づかぬ」

恥じるべきは、誠実さや正直さではない。
むしろ、誤りに対して恥じることこそが、人間としての気高さを保つ唯一の手段である。
他人の評価に流されず、自らの良心と道理に従って「何を恥じ、何を誇るべきか」を問い続けること――それが、地獄を避け、清らかな人生を築く鍵なのです。

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