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おごりを離れた人のまなざしは、世界を澄ませる


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■引用原文(仮訳)

田畑の汚れは雑草であり、
この人々の汚れはおごり高ぶりである。
それ故に、おごり高ぶりを離れた人々に供養して与えたものは、
大きな果報をもたらす。

※本句は仏典『ダンマパダ』第359偈に通じ、ギーターでは第13章「知識ある者の特徴」、第16章「悪性の特徴」などに記される「驕慢とその克服」に対応します。


■逐語訳(意訳)

田畑が雑草によって荒れるように、
人の心はおごりや高慢によって曇ってしまう。

しかし、傲慢を離れ、謙虚に真理に向き合う人に対して施される供養は、
真の尊敬に基づく行為として、
大きな果報となって、施した者にも返ってくる。


■用語解説

  • 田畑の汚れ=雑草:自然な育ちを妨げる外的障害。
  • 人々の汚れ=おごり高ぶり(慢):仏教では七慢の一つ。優越感・他者蔑視・自己肥大など、智慧と徳を曇らせる心の毒。
  • おごりを離れた人々:謙虚・平等心・誠実さを身につけた精神的に成熟した人。ギーターでは「知者(ジニャーニ)」または「神性を備えた者」と呼ばれる。
  • 果報(かほう):善行がもたらす良き結果。精神的、社会的な影響の両面を含む。

■全体の現代語訳(まとめ)

田畑に雑草がはびこれば、種が育たぬように、
人の心もまた、驕りや高ぶりによって、本来の良さを曇らせてしまう。

しかし、おごりを離れた人に対して行う善行は、
その清らかな精神と響き合い、やがて大きな果報となって返ってくる。
謙虚さこそが、心と世界を澄ませる鍵である。


■解釈と現代的意義

この章句は、**「おごりは心を濁らせる最大の障壁である」という道徳的・精神的警句です。
『バガヴァッド・ギーター』第13章では、「真の知識を持つ者の特徴」として
「謙虚(アマーニトヴァム)」**が第一に挙げられています。

おごりは見えにくく、他人への態度だけでなく、
「自分はすでに理解している」「もう十分できている」といった内面の傲慢さとしても表れます。
それを手放した人に触れたとき、人は自然と敬意を持ち、善意の循環が生まれます。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点解釈と応用例
リーダーシップ謙虚でありながら本質を見抜くリーダーは、周囲から信頼され、長期的影響力を持つ。
若手育成「分からない」「学びたい」と素直に言える風土が、学習組織を育てる。
組織文化成果や肩書きに酔わず、お互いを尊重し合う文化が、イノベーションと持続性を生む。
投資と支援の目利き誠実で謙虚な人に対する支援は、見返り以上の徳と信頼をもたらす。

■心得まとめ

「おごりは実りを枯らし、謙虚さは果実を育てる」

驕慢は人を盲目にし、他者を遠ざける。
謙虚さは人を開かせ、つながりと成長をもたらす。

おごりを離れた人に向けた誠実な供養(支援・援助)は、
その透明な心と響き合い、見返り以上の果報として、
人生に深い実りをもたらすのです。


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