激しい怒りが心に燃え上がり、欲望が堰を切ったようにあふれるとき、
人はそれが良くないと頭では分かっていながら、つい愚かな行動に出てしまう。
そのとき――
「それを知っているのは誰か?」
「それでもなお、犯してしまうのは誰か?」
とふと我に返り、自問できたなら、
心の中の邪念はたちまち消え去り、本来の**清らかで理性的な自分(真君)**が現れるだろう。
怒りや欲望に飲み込まれそうになったときほど、
自分の中にもう一人の「観察する自分」を持つことが、真の人間力となる。
原文(ふりがな付き)
怒火慾水(どかよくすい)の正(まさ)に騰沸(とうふつ)するの処(ところ)に当(あ)たりて、明明(めいめい)に知得(ちとく)し、又(また)明明に犯着(はんちゃく)す。知(し)る是(の)は誰(だれ)ぞ、犯(おか)す又是れ誰ぞ。此(こ)の処(ところ)能(よ)く猛然(もうぜん)として念(ねん)を転(てん)ずれば、邪魔(じゃま)便(すなわ)ち真君(しんくん)と為(な)らん。
注釈
- 怒火慾水(どかよくすい):怒りと欲望のたとえ。烈火と洪水のような激しい情動。
- 明明に知得し、又明明に犯着す:「これは悪いことだ」と自覚しながらも、それでもなお行ってしまう人間の矛盾。
- 猛然として念を転ずる:ふと、強く・鋭く意識を切り替えること。自分を省みる瞬間。
- 邪魔(じゃま):心の中の欲望・怒り・執着などの乱れ。
- 真君(しんくん):自分の中にある清らかで理性的な良心。仏教的には「本心」、道家的には「真我」とも言える。
※「conscience(良心)」という英単語もラテン語の con-(共に)+ scire(知る)から成り立ち、「もう一人の自分と共に知っている心」と解釈でき、本条の思想と深く共鳴します。
パーマリンク(英語スラッグ)
awaken-true-self
(真の自分に目覚める)pause-in-passion
(激情の中で立ち止まる)inner-witness
(内なる観察者)
この条文は、「感情のコントロール」ではなく、「感情の中にあっても理性を持つこと」を説いています。
衝動が自分を飲み込みそうなとき、「それを見ているもう一人の自分」が一瞬でも“正気”を取り戻せるかが、人格の分かれ目です。
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