梁の恵王は、かつて強国だった自国(晋)の衰退を語り、心中の屈辱を打ち明ける。
自分の代になってからは:
- 東では斉に敗れて、長男を失った。
- 西では秦に七百里もの領土を奪われた。
- 南では楚に敗れて、辱めを受けた。
恵王はこれを「恥」と感じ、「亡き者たちのためにも、何とか一度、仇を討ち、恥をすすぎたい」と語る。そして孟子に、「どうすればそれが可能になるのか」と問う。
この場面には、恵王の「私情」と「国威回復」への願望が入り混じっている。しかし孟子はこの後、復讐や軍事報復ではなく、「徳をもって人心を得る」ことこそが、真の覇者たる道であると諭していく。
引用(ふりがな付き)
「梁(りょう)の恵王(けいおう)曰(い)わく、晋国(しんこく)は天下(てんか)焉(より)強(つよ)きは莫(な)し。叟(そう)の知(し)れる所(ところ)なり。寡人(かじん)の身(み)に及(およ)び、東(ひがし)は斉(せい)に敗(やぶ)れ、長子(ちょうし)死(し)す。西(にし)は地(ち)を秦(しん)に喪(うしな)うこと七百里(り)。南(みなみ)は楚(そ)に辱(はずかし)めらる。寡人之(これ)を恥(は)ず。願(ねが)わくは死者(ししゃ)の比(ため)に一(ひと)たび之(これ)を洒(すす)がん。之を如何(いか)にせば則(すなわ)ち可(よ)からん。」
注釈
- 晋国…魏・韓・趙の三国で分裂する前の強国。魏はその後継として自らを「晋」と称することがあった。
- 叟(そう)…老先生。ここでは孟子を尊敬して呼ぶ言葉。
- 洒がん(そそがん)…「洒涙」とも通じる。「恥をすすぐ」「復讐を果たす」という意味。
- 比(ため)に…死者のために、という意味の副詞的用法。
パーマリンク案(英語スラッグ)
avenge-the-shame
(恥を晴らしたい)restore-honor-or-rule
(名誉か、王道か)defeat-doesn’t-equal-dishonor
(敗北は恥ではない)
補足:私情としての「恥」、政治としての「徳」
この章は、恵王の胸中の悔しさと、王たる者の「私情」がどのように政治判断に混じり得るかを露わにしています。
孟子はこの恵王の問いに、やみくもな報復や武力行使ではなく、「徳に基づいた政治こそが真の王者を生む」と後に答えていきます。この対話構造は、単なる「軍略の是非」ではなく、「王としてどう振る舞うべきか」という根本的な問いへの入り口になっています。
恵王の問いに込められた感情は真実ですが、それに対する孟子の応答がいかに“王道”に導くかは、次の章に続く核心です。
1. 原文
梁惠王曰、晉國、天下莫強焉。叟之知也。
寡人之身、東敗於齊、長子死焉。
西喪地於秦七百里、南辱於楚。
寡人恥之。
願比死者壹洒之。
如之何、則可?
2. 書き下し文
梁の恵王曰(い)わく、晋国は、天下に強きこと焉(これ)よりも強きは莫(な)し。叟(そう)の知れる所なり。
寡人の身に及びて、東は斉に敗れ、長子死せり。
西は秦に地を喪(うしな)うこと七百里、南は楚に辱(はずかし)めらる。
寡人これを恥ず。
願わくは、死者の比(たぐい)に一たびこれを洒(すす)がん。
これを如何(いかん)にせば、則ち可(よ)からん。
3. 現代語訳(逐語・一文ずつ訳)
- 「晋国は天下においてこれ以上強い国はなかった」
→ 昔の晋国は、当時最も強国であった。それはあなた(孟子)もご存知のとおりだ。 - 「しかし、私の代になってから、東では斉に敗れ、長男を戦死させた」
→ 私の代に、東では斉に敗れて長男が戦死した。 - 「西では秦に七百里の土地を奪われ、南では楚に屈辱を受けた」
→ 西方では秦に広大な領土を奪われ、南では楚に辱められる事態となった。 - 「私はこれを恥じている」
→ 私はこのような失政を深く恥じている。 - 「死者たちに一度、顔向けできるように汚れをすすぎたい」
→ 先立った者たちに対して、一度だけでも恥をそそぎ、顔向けできるようにしたい。 - 「どうすればよいのか?」
→ どうすれば、それが可能となるのか教えてほしい。
4. 用語解説
- 晋国(しんこく):春秋時代の大国。戦国時代に分裂して魏・趙・韓となり、梁(魏)はその一つ。
- 叟(そう):年長者への敬称。ここでは孟子のこと。
- 長子(ちょうし):王の長男。通常、後継者とされる。
- 洒(すす)ぐ:罪や恥を洗い流す。名誉の回復や再起の願いを含む。
- 比(たぐい):仲間。ここでは死者=戦死者や先王を指す。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
恵王は言った:
「かつて晋国は、天下で最強の国だった。それはあなたもご存じだろう。
しかし、私の代になってから、東では斉に敗れ、息子は戦死し、
西では秦に七百里の領土を奪われ、南では楚に辱められた。
私はこのことを深く恥じている。
どうか、一度でも死んだ者たちに顔向けできるように、この恥をそそぎたい。
どうすれば、それができるだろうか?」
6. 解釈と現代的意義
この章句は、敗戦に対する王の反省と、再興を目指す誠実な姿勢を表しています。
恵王は、外敵による敗北と国土の損失、そして長男の死を、自らの責任と捉え、
「過去の栄光」と「現在の屈辱」との落差に苦しんでいる様子がうかがえます。
しかし彼は、単に感情に浸るのではなく、「この恥をどうすれば雪げるか」という建設的な問いかけを孟子に向けます。
これは、「過去を悔いる」ことから「未来を築く」姿勢への転換点を示す重要な対話です。
7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
- 「敗北や失敗を認めること」からしか、再起は始まらない
事業の失敗、顧客離れ、社員の退職など、組織が“屈辱”を受けたとき、
リーダーが責任を引き受けて反省し、次の行動を問う姿勢こそが組織再生の出発点です。 - 「結果を出せなかった」ときの誠実な言葉が、信頼をつなぐ
過去の失敗を他人のせいにせず、「自分が恥じている」「何をすべきか」と尋ねるリーダーには、人はついてきます。 - 「栄光を知る者の自己批判」は、変革を導く力がある
かつての成功を知る人が、現状を嘆くだけでなく、「どうしたらよいか」と問うとき、
それは単なる後悔ではなく、真の変革の前触れとなります。
8. ビジネス用の心得タイトル:
「恥を知る者は、変革を問う──過去から未来へ進む覚悟」
この章句は、孟子と恵王の対話の中でも、王が最も人間らしく、謙虚に語る場面です。
続く孟子の返答(王道に立ち返る提言)と併せて読むと、リーダー再生の物語として一層深みが増します。
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