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執著が滅びるとき、苦しみは生まれない


目次

📜引用原文(日本語訳)

第三七偈
執著の条件*に依って苦しみが起る。
苦しみは執著の条件から生ずるものである。
執著の条件がすべて滅びたならば、
苦しみの起ることはない。
― 『ダンマパダ』 第二章 第三七偈


🔍逐語訳(文ごとの意訳)

  • 執著の条件に依って苦しみが起る:欲望や執着を生む「原因や条件」があるとき、人は必ず苦しむ。
  • 苦しみは執著の条件から生ずるものである:苦しみとは、単なる外的状況のせいではなく、内なる「執著」がもたらすもの。
  • 執著の条件がすべて滅びたならば:その原因を取り除けば、
  • 苦しみの起ることはない:苦しみも自然と消滅する。これは「因果」の論理に基づく仏教の核心的教え。

📚用語解説

用語解説
執著の条件(ウパーダーナ・プラティヤヤ)執著(渇愛)が生じるための要因や土壌。欲望、無知、自己への誤解などを指す。
苦しみ(ドゥッカ)生・老・病・死など、あらゆる「思い通りにならないこと」。仏教の出発点。
滅びたならば(ニローダ)完全に消滅した状態。四聖諦の「滅諦」に相当する。
起る(サムッパーダ)原因により結果が現れること。仏教における縁起思想の核心。

🪞全体の現代語訳(まとめ)

私たちが日々感じる苦しみは、
環境や他人のせいではなく、
内にある「執著」が生み出している。

その執著を育む条件が心にある限り、
苦しみは繰り返し生まれてくる。

だが、もしその条件を取り除けたならば、
苦しみはもう生まれようがない――
仏はこのように説いている。


🧠解釈と現代的意義

この偈は、仏教が説く苦しみの本質は「外」ではなく「内」にあるという思想を、非常に端的に表しています。

現代人もまた、「ストレスの原因は他人」「不幸は社会のせい」と外側に責任を求めがちですが、
その不快感や焦燥を生んでいる「条件」こそ、自らの心の中にあるという指摘は、
耳が痛いと同時に、深い救いにもなります。

なぜなら、心の条件を変えられるのは、自分自身しかいないからです。


💼ビジネスにおける解釈と適用

観点応用例
マインドセットの自己責任問題は外ではなく、自分の心の捉え方・条件反射にあると気づくことで、主体性が生まれる。
「苦しみの源」を内省する文化トラブルや不満が起きた際、原因を“他者”に求めるのではなく、“心の反応”に目を向けることで成長するチームに。
自己執着のマネジメント評価・昇進・成果に固執するあまり、かえってストレスや対人摩擦が増す構造を断ち切る。
リーダーの落ち着きの源泉不安定な環境でも心が動じない人は、執著の根を断っている。周囲に安定感と信頼をもたらす。

✅心得まとめ

「苦しみの原因を外に求めるうちは、
苦しみはいつまでも終わらない」

執著という火種が心の中にある限り、
外からの風はたやすく炎を呼び起こす。

だからこそ、苦しみの原因を断つこと――
それが、真の解放への第一歩である。

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