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理想を語るな、理想に近づけ

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志は立派でも、実行できてこそ価値がある

弟子の子貢(しこう)は、「自分が他人からされて嫌なことは、他人にも決してしないように心がけています」と孔子に語った。

この言葉は、いわゆる“己の欲せざる所は人に施すなかれ”の精神そのもの。
ところが、孔子はただちにそれを認めず、こう言った――

「賜(し)よ、それは立派な心がけだが、お前がまだ実際にそれを完全に行えているとは思わないよ」。
孔子はここで、理想を口にすることよりも、実際の行いとしてそれをどこまで体現できているかを重視していた。

この厳しくも愛情ある応答には、弟子の志を否定せず、しかし甘やかすことなく一歩先の成長を促す、師としての温かい視線が感じられる。

志を持つのは良い。
だが、それを本当に行えるかどうかが、君子とそうでない者を分ける。

原文

子貢曰、「我不欲人之加諸我也、吾亦欲無加諸人。」
子曰、「賜也、非爾所及也。」

書き下し文

子貢(しこう)曰(いわ)く、
「我(われ)、人の諸(これ)を我に加えんことを欲(ほっ)せざれば、吾(われ)もまた諸を人に加うる無(な)からんと欲す。」

子(し)曰(いわ)く、
「賜(し)や、爾(なんじ)の及ぶ所に非(あら)ざるなり。」

現代語訳(逐語・一文ずつ訳)

「子貢曰、我不欲人之加諸我也、吾亦欲無加諸人」

→ 子貢は言った。「私は、人からされて嫌なことはされたくないと思っています。だから私も、人に同じことをしないようにしたいのです。」

「子曰、賜也、非爾所及也」

→ 孔子は言った。「賜(子貢)よ、それはお前の到達できる境地ではない。」

用語解説

  • 子貢(しこう)/賜(し):孔子の高弟。弁舌に優れ、知的で理性的な人物として知られる。
  • 加諸(これをくわう):加える、行う、押しつける。
  • 非爾所及(なんじの およぶところにあらず):あなたのレベルで到達できるものではないという意味。深い徳性を要する高次の倫理観を指す。

全体の現代語訳(まとめ)

子貢が言った:
「私は、人からされたくないことは、自分も他人にしないようにしたいのです。」

孔子はそれを聞いてこう言った:
「賜よ、それは君が到達できるような境地ではない。」

解釈と現代的意義

この章句では、“黄金律”とされる倫理観について、孔子が非常に深い視点から子貢の理解を否定する形で評価しています。

◆ 子貢の倫理観は理性的な「対等主義」

子貢は「自分がされたくないことを人にもしない」という、非常に理知的でフェアな発想を述べています。これは現代の道徳や法律に通じる「相互主義」に近い考えです。

◆ 孔子の視点は、それを超える“無私の徳”

孔子はそれを「まだ徳の深みを理解していない」と示唆しています。つまり:

  • 「嫌なことをしない」のではなく、
  • 「人が喜ぶことを先んじて行い、自己の利害から離れて行動する」

という、より積極的・無私な仁の境地が孔子の理想とする「仁」の姿です。

ビジネスにおける解釈と適用

「対等な倫理観は重要だが、それだけでは“信頼のリーダー”にはなれない」

子貢のような「対等な距離感」は、ビジネスにおけるフェアな関係の基本です。
しかし孔子は、それを超えて**“自ら与える人間”になることが、人望と信頼を生む**と教えています。

→ 「やられたくないからやらない」ではなく、「してあげたいからする」──これが“徳のあるリーダー”の姿。

「無私の行動が、“言葉を超えた信用”をつくる」

人に求める前に、自分が誠実さや思いやりを体現しているか。
孔子が目指したのは、「見返りを求めない人間関係の徳」です。

→ “返報を前提としない善意”が、信頼経済を支える。

まとめ

「公平より一歩進め──“与える人”が信頼を生む」

この章句は、現代社会で重要とされる“フェアネス”をさらに深く掘り下げ、**「徳に基づく信頼」や「自己超越的な利他性」**を目指すことの大切さを教えてくれます。

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