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月のように清らかに、露のように自由に


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📖 引用原文(『ダンマパダ』第33章「バラモン」第31偈・31A・31B・31C)

三一
葉の上の露のように、
錐の尖の芥子のように、
諸の悪に汚されない人、
かれをわれは〈バラモン〉と呼ぶ。

三一A
曇りのない月のように、清く、澄み、濁りがなく、
諸の欲情に汚れていない人、
かれをわれは〈バラモン〉と呼ぶ。

三一B
曇りのない月のように、清く、澄み、濁りがなく、
諸の悪に汚れていない人、
かれをわれは〈バラモン〉と呼ぶ。

三一C
曇りのない月のように、清く、澄み、濁りがなく、
歓楽の生活の尽きた人、
かれをわれは〈バラモン〉と呼ぶ。


🔍 逐語訳(意訳)

  • 第31偈
    蓮の葉の上に転がる露のように、
    錐の先に留まる芥子のように、
    どんな「悪」にも触れず、染まらない人――
    仏陀はその人を〈バラモン〉と呼ぶ。
  • 第31A~C偈
    曇りのない満月のように、
    清く、澄み、曇りなき心を持ち、
    欲にも、悪にも、快楽にも染まらない人――
    その人こそが〈バラモン〉である。

🧘‍♂️ 用語解説

用語解説
露・芥子小さく軽く、他と接しない儚い存在の象徴。染まらない状態。
光を放ちながらも何も染めず、全体を照らす清浄の象徴。
諸の悪(アクサラ)殺生・妄語・貪欲・瞋恚など、人間を曇らせる行為や状態。
諸の欲情(カーマ)官能的欲望。五欲(財・色・食・名・睡)など。
歓楽の生活(カーリカ)快楽追求型の生き方を指し、執着・放逸に通じる。

🗣 全体の現代語訳(まとめ)

露のように軽やかで、芥子のように触れず、
月のように清く澄んで、濁りのない心を持つ者――
その人は、欲にも悪にも快楽にも染まらず、
ただ澄みきった静けさのなかにいる。

それこそが、仏陀が「〈バラモン〉」と呼ぶ存在である。


🧭 解釈と現代的意義

この偈群は、“清らかで自由な心”こそが究極の徳であることを語ります。
ここで大切なのは、「拒絶」ではなく「染まらない」こと。
外界と関わりながらも、汚れず、熱せられず、照らすだけで在る――
そんな月のような存在が、仏教における理想の人格です。

それは現代においても、物欲・評価・快楽・感情といった「心を濁す要因」に囲まれる中、
自らの静けさと本質を失わずに生きる智慧として深い意味を持ちます。


🏢 ビジネスにおける解釈と適用

観点応用・実践例
品位ある判断欲・利得・対立に染まらない「月のような人」が、信頼されるリーダーとなる。
クリーンな組織文化清らかな判断基準を持つ人が中心にいると、組織も濁らず健全に保たれる。
静けさを保つ精神成功や誘惑、失敗に左右されず、常に穏やかな心を保つ人が、安定した成果を出す。
誘惑と対立の超越交渉や商談においても、感情や利害に引き込まれず、「本質」に立脚した対応ができる。

💡 感興のことば:心得まとめ

「月のように照らし、露のように離れよ」

美しいものは染まらず、
強いものは柔らかく、
真に清らかな人は、外と関わりながらも、
決して心を曇らせない。

仏陀が称える〈バラモン〉とは、
まさに**「澄んだ自由」そのものである**のです。

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