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無我の行為に、罪は宿らず


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■引用原文(日本語訳)

「その心が我執なく、その知性が汚されていない人は、これらの世界の人々を殺しても、殺したことにならず、〔その結果に〕束縛されることもない。」
(バガヴァッド・ギーター 第18章 第17節)


■逐語訳

もしその人の心が我執(アハンカーラ)を離れており、
知性(ブッディ)が汚されていない(ナ・リプヤテ)ならば、
その人が仮にこの世の人々を殺したとしても、
殺したことにはならず、
またその結果に束縛(バッダ)されることもない


■用語解説

  • 我執(アハンカーラ):自我意識。「自分がやった」「私のもの」とする心の働き。行為への執着の源。
  • 知性が汚されていない(ナ・リプヤテ):感情や欲、無知に染まっていない識別力。澄んだ理解力。
  • 殺しても殺したことにならない:ここでは文字通りの殺害行為よりも、「義務としてなされた行為に対し、個人的罪悪感や果報が発生しない」ことを意味する。
  • 束縛されない(ナ・バッダテ):カルマの影響を受けない。精神的自由を保っていること。

■全体の現代語訳(まとめ)

自我の執着を離れ、純粋な知性によって物事を見つめる人は、
たとえ激しい行為をなすとしても、それは「私がやった」という執着のもとには行われていないため、
罪や報いに縛られることはない。
それは「義務」と「正しい理解」に基づいた、無私の行為である。


■解釈と現代的意義

この節は、「行為そのもの」よりも「行為をなす心の在り方」が結果を左右する、という深い倫理観を提示しています。
どれほど大きな行為でも、そこに私欲や自我がない場合、それは自然な流れとして果たされ、魂を汚さない。
反対に、小さな行為でも、利己心や執着からなされるなら、それは束縛を生む。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
苦渋の決断リストラ・組織変更など、避けがたいが厳しい判断においても、「自我なき誠実な動機」があれば、精神的な罪悪感に縛られない。
意思決定の純度利益や名声を目的とせず、「何が正しいか」に基づく決断は、たとえ批判されても長期的に信頼を得る。
リーダーの在り方組織のトップは重大な行為に関与するが、それを自分の名誉や恐れのためでなく、公平・誠実に行えば、心の平安を保てる。

■心得まとめ

「己を離れ、義を貫く者に、束縛は及ばない」
『ギーター』は教える。大きな行為をなすことが問題なのではない。
それが「私」のためか、「義」のためか――そこにこそ、魂の自由と束縛の分かれ目がある。
自我を離れ、智慧をもって果たす行動は、結果に縛られることなく、清らかに終わる。


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