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臨機応変に判断して最適な処置を取る

孟子は、楊朱と墨翟(墨子)の考え方の違いを例に挙げて、道においてどのように行動するべきかを説いた。楊朱は自己の利益を最優先し、たとえ自分の毛を一本抜くことで天下のためになるとしても、自己の利益にかなわなければそれを行わない。これに対して、墨子は兼愛を説き、すべての人を平等に愛し、自己を犠牲にしてでも天下の利益を優先しようとする。これらの考え方の中間を取るのが魯の賢人・子莫であり、彼は中庸を目指しているように見えるが、実際にはその場その場で臨機応変に最適な方法を取るのではなく、ただ単に中間を取ることに固執してしまう危険性がある。孟子は、一つの方法に固執することが道を損なうことになり、他の多くの良い道を放棄してしまうと警告している。

「孟子曰(もうし)く、楊子は我が為にするを取る。一毛を抜いて天下を利するも、為さざるなり。墨子は兼愛す。頂を摩して踵に放るも、天下を利するは之を為す。子莫は中を執る。中を執るは之に近しと為すも、中を執りて権すること無ければ、猶お一を執るがごときなり。一を執るに悪む所の者は、其の道を賊うが為なり。一を挙げて百を廃すればなり」

「楊朱は、自己の利益を最優先し、たとえ自分の毛を一本抜いて天下を利することがあっても、それが自己のためにならないならば決して行わない。墨子は兼愛を説き、自己を犠牲にしてでも天下のために尽力しようとする。子莫は中庸を取り、どちらにも偏らずにバランスを取ろうとするが、その方法が臨機応変に適切な処置を取ることなく、中間を取ることに固執してしまう場合がある。これにより、一つの考え方に固執しすぎることが、他の良い方法を捨てることになる」

孟子は、一つの方法に固執することが不適切であり、そのときそのときの状況に応じて最適な方法を取ることが大切だと教えている。臨機応変に判断し、柔軟に行動することこそが、道を進むために必要な姿勢である。

※注:

「取る」…主張する、取り上げる、選ぶ。
「権する」…物事の軽重をうまくはかり、臨機応変に処置を取ること。元々は物の重さをはかるための「分銅」の意味。

目次

『孟子』尽心章句下より

1. 原文

孟子曰、楊子取爲我、拔一毛而利天下、不爲也。
墨子兼愛、摩頂放踵、利天下爲之。
子莫執中、執中爲近之矣、執中無權、猶執一也。
惡執一者、爲其賊道也、擧一而廢百也。


2. 書き下し文

孟子曰(いわ)く、楊子は「我が為にする」を取る。一毛(いちもう)を抜いて天下を利するとも、為さざるなり。
墨子は兼愛す。頂を摩(ま)して踵に放(いた)るも、天下を利するは、これを為す。
子莫(しばく)は中を執る。中を執るは、これに近しと為すも、中を執りて権(けん)すること無ければ、猶お一を執るが如し。
一を執るを悪(にく)む者は、其の道を賊(そこな)うが為なり。一を挙げて百を廃するが故なり。


3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)

  • 「楊子は“自分のため”を取る。一毛を抜いて天下の人々を利することができても、それすらもしようとしない。」
     → 楊朱は極端な個人主義者であり、自分の一毛(体の一本の毛)を犠牲にして天下を助けられるとしても、それを行わないという。
  • 「墨子は“兼愛”を説く。頭の先からかかとまで(=命を尽くして)でも、天下のためになるならば、それを実行する。」
     → 墨子は極端な博愛主義者であり、身体全体が摩耗するほど尽力しても、天下のためならば喜んで行う。
  • 「子莫は“中庸”を取る。中庸を取るのは正しいことに近いが、もしも中庸にして判断のバランス(権)を欠けば、それもまた偏っているのと同じである。」
     → 「中庸」は良さそうに見えるが、状況に応じた調整(=柔軟さや応変性)がなければ、それも“片寄り”と変わらない。
  • 「“一を執る者”を嫌うのは、道理を損なうからである。それは、一つの正しさを振りかざして、他の百の価値を捨ててしまうからである。」
     → 偏った思想は、全体のバランスを壊し、結果的に多くの価値を見失わせる。そのため孟子は極端な主義を否定する。

4. 用語解説

  • 楊子(ようし/ようしゅ):戦国時代の思想家・楊朱。極端な個人主義で「我利主義」の象徴。
  • 一毛:体の一本の毛。ここでは「最小限の犠牲」を象徴。
  • 墨子(ぼくし):戦国期の思想家。儒家と対立し、無差別の愛=兼愛を説いた。
  • 摩頂放踵(まちょうほうしょう):頭をすり減らし、かかとをすり切らしても尽くす。極端な自己犠牲の象徴。
  • 子莫(しばく):正体不明の人物で、ここでは「中庸を偏重する思想」の象徴として扱われる。
  • 執中(しっちゅう):中庸を固守すること。
  • 権する(けんする):バランスを取って調整すること。臨機応変に判断する知恵。
  • 執一(しついち):一つの主義や原理に固執すること。
  • 賊道(ぞくどう):道を損なう、破壊すること。
  • 擧一而廢百(きょいちしてひゃくをはいす):一つの考えを絶対化して、他の百の価値を犠牲にすること。

5. 全体の現代語訳(まとめ)

孟子は言った:
楊朱は、何よりも自分のためを第一とし、自分の一本の毛を抜くだけで天下の人々を救えるとしても、それすらもしようとしなかった。
一方で墨子は、博愛を説き、命が尽きようとも天下のためになるならば、それを実行した。
子莫は中庸を取る。中庸を取るのは正しい方向に近いが、そこにバランスの感覚がなければ、やはり偏った考えと変わらない。
私は一つの考えに固執することを嫌う。それは道を破壊するものであり、一つの正しさを立てて、百の価値を失ってしまうからである。


6. 解釈と現代的意義

孟子はこの章で、「極端な思想に対する警鐘」を鳴らしています。

  • 楊朱=極端な自己中心主義の否定
    → 社会的責任を完全に否定し、自分の損得だけで行動する姿勢は、共同体の崩壊につながる。
  • 墨子=極端な博愛主義の否定
    → 自己犠牲に偏りすぎれば、個人としての尊厳や持続可能性が失われる。理想論は現実社会に即していなければならない。
  • 子莫=柔軟さなき“中庸”の否定
    → 中庸は理想だが、状況に応じたバランス感覚(=権)がなければ、それもまた一つの「偏り」となる。

孟子の本質は、「時と場合に応じて、価値のバランスをとる智慧(中庸における“権”)」を重視する実践的倫理思想です。


7. ビジネスにおける解釈と適用

✅ 「極端な“自己利益主義”は、信頼を壊す」

組織内における“自分さえ良ければ”という姿勢は、チームワークや企業文化を蝕む。「楊朱型社員」は、短期利益はあっても、長期的に組織に害を与える。

✅ 「過剰な“献身”は、燃え尽きを招く」

「会社のためなら何でもする」という姿勢は美徳に見えるが、持続不可能な働き方は組織全体の生産性と健康を損ねる。「墨子型過剰献身」は組織疲弊の原因。

✅ 「“中庸”は、調整力とセットで価値を持つ」

公平・中立を掲げる人が、実際には何も決められず、場当たり的な対応になることもある。中庸とは、**判断と選択のための“柔軟な中核”**であるべき。


8. ビジネス用の心得タイトル

「極端を排し、柔らかく立つ──“バランスの知性”が道を開く」


孟子の思想の中でも、この章句は「価値の複眼的バランス」を示す要として、現代の企業経営や組織倫理に通じる内容を多く含みます。

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