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外見の清さにあらず、行いが人を決める


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■引用原文(日本語訳)

袈裟を頸から纏っていても、性質が悪く、つつしみのない者が多い。
かれら悪人は悪いふるまいによって死後には悪いところ(地獄)に生れる。

―『ダンマパダ』第11章 第9偈


■逐語訳

  • 袈裟を頸から纏っていても(kesañci antarāpaṁ ābhujitvā):外見上は僧の衣(袈裟)を身につけていても、
  • 性質が悪く(pāpadhammā):心の本性・習慣が悪に染まっている者、
  • つつしみのない者が多い(asuci dussīlā):内面が不浄で、戒律や節度を守らない者は多い。
  • 悪いふるまいによって(pāpakamma):悪い行いの結果、
  • 死後には悪いところに生れる(nirayaṁ upapajjanti):死後には地獄など悪趣に堕ちる。

■用語解説

  • 袈裟(antarāpaṁ):仏教僧が身にまとう法衣。ここでは“宗教的外見”や“聖職的象徴”の象徴。
  • 性質が悪い(pāpadhammā):根本的に悪意・欺瞞・執着に支配された内面。
  • つつしみのない者(dussīlā):戒律を守らず、節制を欠く者。
  • 悪いところ(niraya):仏教における「地獄界」。苦しみの報いとして堕ちる世界。
  • 行為の業(kamma):原因と結果の法則に基づき、自分の行動が未来の結果を生むという教義。

■全体の現代語訳(まとめ)

仏陀は、「いかに立派な衣を身につけていても、実際の性質や行為が悪ければ、最終的には苦しみの世界へ堕ちる」と教えている。外見だけを飾っても、内面が腐敗していれば意味がない。真に価値あるのは“心と行いの清らかさ”である。


■解釈と現代的意義

この偈は、形式や肩書き、外見的な「正しさ」ではなく、本質的な行動と心の在り方が問われるという深い教えです。
現代社会でも、立派な肩書きや装いの陰で倫理を欠いた振る舞いをする人々はしばしば見られますが、この偈はその危うさと無常を端的に突いています。
表面を飾ることに熱心になるより、日々の実践・誠実・内省こそが人を真に清らかにし、良き結果へと導くのです。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点現代ビジネスでの適用例
肩書きや役職の虚構管理職や専門職であっても、行動が伴っていなければ尊敬も成果も得られない。
CSRやブランドイメージ社会貢献をアピールしても、内部で不正や非倫理的な行動があれば信頼は崩壊する。
採用・評価基準学歴や経歴よりも、「どう行動してきたか」「他者にどのような影響を与えてきたか」が問われる時代。
自己ブランディングSNSやプレゼンテーションで美化しても、実際の誠実さと整合していなければ本当の信頼は得られない。

■心得まとめ

「外の衣より、内なる心を整えよ」

仏陀のこの偈は、「外見・肩書・形式は真実を証明しない」と語っています。
どんなに立派に見えても、心の誠実さと行いの清らかさがなければ、その人の本質は虚ろであり、結果として苦しみを招くのです。
ビジネスや社会の中でも、“どう見えるか”ではなく、“どう行っているか”が評価される時代において、この教えは決して古びることのない真理です。


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