主旨の要約
孔子は、仁ある人は言葉に慎みがあると語る。それは、まず行動で示すことを重んじ、実践を経てからでなければ言葉にしないという心構えによるもの。軽々しく語らず、誠実さと慎重さを大切にするのが、仁の本質である。
解説
弟子・司馬牛が仁について問うた際、孔子は「仁者はその言葉が訒(しの)ぶ、慎み深い」と答えました。
この「訒」という語には、「控えめ」「言葉を慎む」「忍んで言う」「難しいことを受け入れる」といった複数のニュアンスが含まれています。
司馬牛は、「それだけで仁といえるのですか?」とやや不満げに返しますが、孔子はこう続けます——
「行うことは難しい。だからこそ、仁者は軽々しく口にせず、実践が伴ってから言葉にする。慎みのない言葉は、仁の姿勢と相容れない」と。
つまりここでは、「言葉の軽さ」は徳の浅さを示すとされ、仁の人は行動と真心を先に立てるという、孔子の倫理観がにじんでいます。
とくに現代でも、耳障りのよい言葉や格好をつけた表現が氾濫するなか、「言葉よりも実践、語る前に成し遂げる」という仁の態度は、深い示唆を与えてくれます。
引用(ふりがな付き)
司馬牛(しばぎゅう)、仁(じん)を問(と)う。子(し)曰(いわ)く、仁者(じんしゃ)は其(そ)の言(こと)うこと訒(しの)ぶ。
曰(いわ)く、其(そ)の言(こと)うこと訒(しの)びて、斯(こ)れ之(これ)を仁(じん)と謂(い)うか。
子(し)曰(いわ)く、之(これ)を為(な)すこと難(かた)し。之(これ)を言(い)いて訒(しの)ぶこと無(な)きを得(う)べけんや。
注釈
- 訒(しの)ぶ/かたんず…「慎み深く語る」「実践の重みをもって語る」こと。単に無口という意味ではなく、「軽はずみな言葉を避ける姿勢」を指す。
- 仁者(じんしゃ)…真の思いやりと徳を備えた人。表面的な善人ではなく、内面の誠実さを行動に移せる人物。
- 為すこと難し…行動で示すことは本質的に難しい。その難しさを乗り越えてからこそ、言葉が重みを持つ。
- 司馬牛(しばぎゅう)…孔子門下。軽率さがあったとされ、このエピソードは彼への戒めのような側面もある。
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