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結果を握りしめるな、贈り物として受け取れ

この世界は、想像を超えた秩序の中にある。
太陽は昇り、月は巡り、季節は繰り返され、命は生まれ、育ち、還ってゆく。
このすべてを司っている偉大なはたらき――それがイーシュヴァラである。

イーシュヴァラは、ただ神として崇められる存在ではない。
この宇宙の運行原理そのものであり、あらゆる法則――自然、物理、倫理、そしてカルマの法則――を成立させている。
「行い」と「行いの結果」をつなぐ見えざる働きもまた、このイーシュヴァラによって支えられている。

水は熱すれば沸騰し、冷やせば氷になる。
そこに恣意はない。ただ摂理がある。
同じように、善き行いは善果を、悪しき行いは苦をもたらす。
それは誰に対しても平等で、決してえこひいきはしない。

にもかかわらず、私たちは日々の出来事に過剰に反応してしまう。
「なぜ私にばかり不幸が起こるのか」
「あの人は得ばかりして不公平だ」
そう思うとき、私たちは目の前の出来事を個人的な感情で解釈してしまっている。

だが、すべての結果は、イーシュヴァラからの**プラサーダ(贈り物)**である。
そこには私たちの善悪の基準を超えた、深く静かな秩序が流れている。

私たちが苦しむのは、結果を操作しようとし、それに執着するからである。
変えられぬものに抗えば、心は乱れ、静けさを失う。
だからこそ、なすべきことを誠実に果たし、結果は贈り物として受け取る姿勢が大切である。

それが、「カルマ・ヨーガ」の核心であり、イーシュヴァラへの信頼の証でもある。

行いは私のもの。結果は世界のもの。
この理解が根づいたとき、人はようやく、結果に揺れず、平静の中で自由に生きられる。

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