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流れに逆らい、ことばを超えた境地へ進む者


目次

📜 引用原文(日本語訳)

ことばで説き得ないもの(=ニルヴァーナ)に達しようとする志を起し、
意はみたされ、諸の愛欲に心の礙(さまた)げられることのない人は、
〈流れを上る者〉とよばれる。

—『ダンマパダ』第16章「愛するもの」第218偈


🔍 逐語訳

  • ことばで説き得ないもの(Nirvāṇa):ニルヴァーナ、すなわち涅槃。煩悩が消え、完全に自由で静寂な境地。言語を超越した究極の安らぎ。
  • 志を起し(chandaṃ padahitvā):強い意志をもって、到達しようと努力すること。
  • 意はみたされ(santo):内面の満足・安定を得ている。心が満ち足りている状態。
  • 諸の愛欲に礙げられることのない人(viratto kāmesu):愛欲・感覚的快楽に心をとらわれず、執着しない人。
  • 流れを上る者(uddhamsoto):世俗という「流れ」に逆らい、真理を求めて努力する修行者。逆流者。

🧩 用語解説

  • ニルヴァーナ(涅槃):煩悩・執着・無知が完全に滅せられた状態。言語・思考を超えた安らぎ。
  • 愛欲(kāma):五感を通じて得る快楽への欲望。仏教における苦の原因の一つ。
  • 流れを上る者(uddhamsoto):世俗の価値観(快楽・欲望・競争など)という“下りの流れ”に抗い、悟りの道を進もうとする者。

🧾 全体の現代語訳(まとめ)

涅槃という言語では説明しきれない境地を目指し、
深い満足を得て、あらゆる欲望に心を乱されることなく生きる人は、
世の流れに逆らって生きる「流れを上る者」と呼ばれる。
それは、世間の常識や価値観に迎合せず、真理の方向へと自分を導く者の姿である。


🧠 解釈と現代的意義

この偈は、「真理を求めて世俗の流れに逆らう」という、仏教的修行者の精神的姿勢を描いています。
現代においても、欲望・刺激・競争といった「下流の流れ」に身を任せるのは簡単ですが、
そこから離れて「沈黙・内省・節度・本質」を求める生き方は難しく、しかし尊い道です。

この偈が示すのは、**“世間の声ではなく、心の声に従って生きる勇気”**であり、
一時の快よりも永続的な平穏を選ぶ「逆流の精神」なのです。


💼 ビジネスにおける解釈と適用

観点解釈・適用例
🚀 本質志向の経営トレンドや数値に流されることなく、長期的視点や顧客価値を追求する経営は、真に持続可能である。
💡 リーダーシップ「皆がやっている」ことではなく、「何が正しいか」「何が必要か」に基づいて判断できるリーダーは尊敬される。
🧘 個人の在り方常に何かを欲し続けるのではなく、今あるものに満足し、執着を手放せる人ほど、心の安定を保てる。
🎯 静かな集中力絶え間ない刺激や情報に流されず、静かな意志で自らの目標に集中する人は成果を継続的に出せる。

🔑 心得まとめ

「流されずに登れ。真の自由は、静けさの中にある」

この偈は、私たちに「流れに逆らう覚悟」の大切さを教えています。
多数派や常識に従うことが楽であっても、それが真実であるとは限りません。
本質を求めて、静かな志をもって進む者は、やがて言葉を超えた領域に至るのです。


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