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高みより見るまなざし──すべての憂いを超えて


目次

📖原文(日本語訳)

「山の頂にある岩の上に立っている人があまねく四方に人々を見下すように、
あらゆる方向に眼をもっているこの賢明なる人は、真理の高閣に登って、
(自分は)憂いはなくして、生れと老いとに打ち克たれ、憂いに悩まされているこの人々を見た。」

— 『ダンマパダ』第21章「如来」第18節
(※章末句:「以上 第二一章 如来」)


🔍逐語訳・用語解説

語句解説
山の頂の岩安定し、揺るがず、見晴らしの利く高所。悟りの比喩。
あまねく四方に見下す世の中のさまざまな様相を、偏りなく広く見渡す視点。
あらゆる方向に眼をもっている仏陀の全知・全観性の象徴。智慧と慈悲を持ってあらゆるものを見つめる。
真理の高閣に登る仏教の教理・実践・悟りを極め、最高の境地に達したこと。
憂いなくしていかなる苦悩にも悩まされない静かな境地。解脱。
生れと老いに打ち克たれ輪廻・苦・加齢・病など、人間の存在的苦しみを乗り越えていること。
人々を見た世の苦悩にある者たちを、慈しみと理解を持って見守ること。

💡全体の現代語訳(まとめ)

山の頂に立つ者が四方を見渡すように、
あらゆる方向に眼をもつこの賢者は、
真理の高みに立ち、
自らはいかなる憂いも持たず、
生と老という苦を克服しながら、
なおも、なお苦しみ悩む人々を、
静かに見つめていた。


🧠解釈と現代的意義

この節は、仏陀という存在の最も深い核心――**「超越と慈悲の両立」**を描いています。

如来は、自らはすでに一切の苦から解き放たれている。
にもかかわらず、そこに安住せず、なお「憂いに悩まされる人々」を見つめ続ける

この姿は、現代の指導者やリーダーにとっても理想的なモデルです。
自己の完成だけを追い求めるのではなく、
自らの高みから、人々の現実を忘れず、静かに寄り添う視点こそが、
真の智慧と慈悲の融合なのです。


💼ビジネスにおける解釈と応用

視点応用例
俯瞰するリーダーシップ部下やチームの個別の問題にとらわれすぎず、全体を見渡して適切な判断ができる視野の広さ。
内なる安定からの共感自分が動揺していないからこそ、他者の苦しみに共感し、的確なサポートができる。
遠くから見守る慈しみ介入せず、命令せず、けれど確かに“見ている”という安心感が、組織文化を支える。
実践者としての尊厳自らも一度は苦しみを経験し、それを超えてきた者にしか持ち得ない説得力と共感力。

🧾心得まとめ

「高みに立ちて、なお人を忘れず」

悟りの境地に至っても、
如来は人々の憂いに目を向けていた。

それは、完成された者のまなざしであり、
最も静かで、最も強い慈悲の姿である。

私たちもまた、日々の中で視野を広く保ち、
内なる静けさと他者への思いやりを両立させよう。
それこそが、「如来のまなざし」に近づく道なのだから。


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