人間関係論の専門家たちはしばしば「部下にはその能力に見合った仕事を与えるべきだ」と説く。一見するともっともらしい正論に聞こえるが、実際には誤った前提に基づいた思い込みに過ぎない。この論法を真に受ければ、経営者は部下の能力を完全に把握し、適切な仕事を割り振らなければならないという不可能な課題を課されることになる。
部下の能力を理解するという幻想
そもそも、他人の能力を完全に理解することなどできるのだろうか。いや、自分自身の能力でさえ正確に把握している人間がどれほどいるだろうか。自己認識すら曖昧な人間が、他者の能力を理解し、それに見合った仕事を与えるなどという発想自体が、傲慢な思い込みと言わざるを得ない。
さらに、「能力に合った仕事を与える」という考え方は、部下の可能性を制限し、成長を阻害する危険性を孕んでいる。この発想に基づけば、上司が部下の能力を「これしかない」と決めつけてしまうことになり、それは人間の潜在力を侮辱する行為に他ならない。
真の喜びは困難の先にある
人間は、本当に自分の能力に合った仕事を与えられ、それをこなしたときに喜びを感じるだろうか。答えは否だ。自分にとって簡単な仕事をやり遂げたところで、それは「できて当然」のことであり、達成感や喜びを生む理由にはならない。
むしろ、人間が真の喜びを感じるのは、周囲から「無理だ」と思われるような困難な課題を与えられ、それを死に物狂いで乗り越えたときだ。その過程で苦しみや葛藤を味わいながらも、最終的に成し遂げた達成感が、深い満足感と自己肯定感をもたらす。
このような経験を経た人間は、「自分にはこんなことができた」という新たな自信を手に入れる。それは、彼らの行動や生き方を根本的に変えるほどの影響力を持つ。上司として部下に成長の機会を与えるなら、無理だと思われる課題を与え、その挑戦を見守る姿勢が必要だ。
部下に成長を促すリーダーシップ
真のリーダーシップとは、部下の能力を見極めることではなく、彼らが自身の潜在力を発揮できる環境を作り、挑戦の機会を提供することだ。部下に対して愛情を持つのであれば、以下のような姿勢を取るべきだ。
- 挑戦を与える: 部下の能力を信じ、無理だと思われる課題をあえて与える。
- 手を貸さずに見守る: 公然と手助けせず、陰ながら支える。
- 失敗を叱らない: 成し遂げられなかった場合は叱責ではなく、再挑戦の機会を与える。
「獅子は我が子を谷底に突き落とす」という諺のように、苦しい挑戦を経た後の成長こそが、部下にとって本当の価値を持つ。そして、その経験は単なるスキルの向上に留まらず、自己肯定感や人間としての成熟をもたらす。
経営における「成長させる」という本質
「能力に合った仕事を与える」ことが重要だという考え方は、一見して人間性を尊重しているように見えるが、実際には人間の可能性を狭める危険性を内包している。企業経営の本質は、部下の能力を効率的に使いこなすことではなく、彼らが自らの力を発揮し、成長できる環境を作ることにある。
伝統的な諺が今も語り継がれる理由は、それが普遍的な真理を含んでいるからだ。部下を育てる上で重要なのは、彼らを困難な挑戦に導き、その成長を陰から支えることである。これこそが本当の意味での「人間尊重」であり、リーダーシップの本質と言えるだろう。
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