目次
📜 引用原文(日本語訳)
第二〇章 怒り一四*
「ひとは、恐怖のゆえに、優れた人のことばを恕す。
ひとは、争いをしたくないから、同輩のことばを恕す。
しかし自分よりも劣った者のことばを恕す人がおれば、
それを、聖者らは、この世における(最上の忍耐)と呼ぶ。」
🔍 逐語訳(逐語・一文ずつ訳)
- 「ひとは、恐怖のゆえに、優れた人のことばを恕す」
力や地位のある人に対しては、怖れから言葉を受け入れ、反論せず従うことがある。 - 「ひとは、争いをしたくないから、同輩のことばを恕す」
対等な立場にある者には、衝突を避けるために我慢して受け流す。 - 「しかし自分よりも劣った者のことばを恕す人がおれば」
もし、明らかに自分より能力・立場・知識が劣っている相手の無礼や失言を赦す者がいれば、 - 「それを、聖者らは、この世における最上の忍耐と呼ぶ」
それこそが、仏教で言う真に高貴で成熟した忍耐であり、聖なる態度とされる。
🧩 用語解説
- 恕す(ゆるす):相手の過ち・失礼・言葉を怒らずに受け止め、赦すこと。
- 優れた人:地位・知識・能力・年齢などが自分より上の人。
- 劣った者:未熟、無知、若年、立場の低い人を意味し、侮る対象ではなく「配慮すべき存在」としてここでは語られる。
- 最上の忍耐:内面の徳がもっとも高められた状態。慈悲・寛容・誠実さの究極形。
📝 全体の現代語訳(まとめ)
人は、自分より上の者には恐れから言葉を受け入れ、同等の者とは争いを避けるために黙することがある。しかし、自分より未熟な者が不遜な言葉を発したとき、それを穏やかに受け止め赦す人こそ、最も尊い忍耐を実践していると仏教では教える。それは、真に成熟した人格の現れである。
💡 解釈と現代的意義
この詩句は、「本当の徳とはどこで試されるか」を示すものです。
上司や権力者に怒らないのは、実は恐れによるものであり、対等な相手に怒らないのは利害のためかもしれません。しかし、自分より弱く、無礼で、学び途中の者に対して「感情的にならず赦す」――これができる人こそが、本当の意味で徳を積んでいるといえます。
これは現代社会のあらゆる場面に通じます。SNS、教育、家庭、ビジネス……上からの批判には黙っても、部下や後輩には苛立ちをぶつける。そこにこそ、私たちの「忍耐の本質」が問われているのです。
🏢 ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
部下育成・人材マネジメント | 経験の浅い若手のミスや反抗的な言動に対して、怒らず、理解と成長の機会として接することが、最上の忍耐であり信頼形成の第一歩。 |
リーダーシップの在り方 | 威厳で従わせるのではなく、弱さや未熟さに共感し、支える姿勢が、真のリーダーを形づくる。 |
カスタマーサービス | 無理解な顧客や理不尽な言葉に対して、見下すことなく対応する姿勢が、ブランドの品格を示す。 |
自己修養と人格の成熟 | 相手の未熟さにイライラせず、「この人も道半ばなのだ」と慈悲を持って接することで、自らの心も鍛えられる。 |
🧠 心得まとめ
「強さの証明は、弱さに優しくできるかにある」
恐れず、争わず、そして侮らず。
自分より劣って見える者の言葉にさえ、心を乱さず受け止める人――
それこそが、真に徳の高い人であり、聖者の道に生きる者である。
感情ではなく、慈しみで応じること。そこに人間としての品位が宿る。
この詩句は、表面ではなく「心の品格と寛容の深さ」が問われる仏教的成熟の象徴です。
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