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とらわれを捨てた心に、恐れはない


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■引用原文(日本語訳)

六*
心が煩悩に汚されることなく、
心が縛られることなく、
善悪のはからいを捨てた人には、
悪い領域(=地獄)に落ちるのではないかという恐れが無い。
―『ダンマパダ』より


■逐語訳

  • 心が煩悩に汚されることなく:欲望・怒り・無知といった三毒に心が染まらず、
  • 心が縛られることなく:執着や分別にとらわれることもなく、
  • 善悪のはからいを捨てた人:行為の善悪にすらこだわらない超越的な境地に達した人は、
  • 悪い領域に落ちるのではという恐れが無い:来世の地獄や不幸を恐れることがない。なぜならすでに煩悩を離れているからである。

■用語解説

  • 煩悩に汚される:貪(むさぼり)、瞋(いかり)、癡(おろかさ)に心が支配され、清らかさを失うこと。
  • 心が縛られる:判断・評価・執着・エゴによって自由を失った状態。
  • 善悪のはからいを捨てる:世俗的な道徳判断や功利的な損得を超え、「あるがまま」に基づいた行動に至る境地。
  • 悪い領域(地獄):仏教的に苦しみの報いとしての輪廻の悪趣。ここでは象徴的に「苦しみの再生」や「自滅的な人生状況」も含む。

■全体の現代語訳(まとめ)

心が煩悩によって曇らず、執着によって縛られず、善悪の判断にすらとらわれない人は、もはや地獄に落ちるような恐れや不安に悩まされることはない。彼はすでに自由である。


■解釈と現代的意義

この偈は、「究極の自由とは、外的な行動の善悪ではなく、内なるとらわれからの解放にある」と教えています。
道徳的な評価(善をした・悪をした)も、ときに自己を縛る執着になり得ます。
真に自由な心とは、正しさに執着せず、間違いを恐れず、ただ静かに今を全うする在り方です。
現代においては「道徳疲れ」「成果強迫」など、心の縛りが増えるなか、それを超えて軽やかに生きるヒントとなります。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点応用例
判断からの自由「これは正解か失敗か」と怯えるよりも、「今なすべきことを誠実に実行する」ことに集中する姿勢が成果を生む。
不安からの解放過去の選択への後悔、未来への不安を手放し、目の前の仕事に意識を集中することで、心の平安が得られる。
倫理観の深化形式的なルールや成果主義を超えて、「内なる軸」に従う行動が、真の信頼と影響力を築く。
自由なマインド評価や結果にとらわれないメンタリティが、創造性と継続力を支える。

■心得まとめ

「正しさに縛られず、清らかに在る」
善を行おうとするあまり、恐れや執着に囚われていないか?
真の清らかさとは、行為ではなく「心の自由」にある。
――善悪を超えたとき、私たちは本当に自由になり、恐れからも解き放たれるのです。


この偈は、『般若心経』に通じる「空の智慧」や、「無所得・無恐怖」という仏教思想とも深く関係します。
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