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澄みきった心に、恐れは存在しない


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■引用原文(ダンマパダ 第三章「心品」 第39偈)

「心が煩悩に汚されることなく、おもいが乱れることなく、善悪のはからいを捨てて、目ざめている人には、何も恐れることが無い。」
—『ダンマパダ』 第3章 第39偈(中村元訳ほか)


■逐語訳(一文ずつ)

  • 心が煩悩に汚されることなく:貪り・怒り・無知といった煩悩に染まることがなく、
  • おもいが乱れることなく:感情や思考が不安定にならず、平穏であるならば、
  • 善悪のはからいを捨てて:主観的な善悪の価値判断にとらわれることなく、
  • 目ざめている人には、何も恐れることが無い:真理に目覚めた人は、すでに恐怖や迷いから解放されている。

■用語解説

用語解説
煩悩(クレシャ)貪(むさぼり)・瞋(いかり)・痴(無知)など、心を汚し混乱させる精神的な毒。
乱れる(ヴィッキッパ)思考が分散し、集中や安定を欠く状態。
善悪のはからい(クサラ・アクサラ)行為の善し悪しにこだわる二元的思考。仏教では執着の一形態とされる。
目ざめている人(ブッダ)単に仏陀だけでなく、真理に目覚めた者、覚者という意味も含む。
恐れがない(アバヤン)死・失敗・非難などの恐怖を超越した心の状態。

■全体の現代語訳(まとめ)

もし、心が煩悩に染まらず、思考が乱れず、善悪といった偏見や執着から自由であるならば、真理に目覚めたその人には、もはや恐れるものは何ひとつない。心の浄化と覚醒が、恐怖からの完全な自由をもたらすのだ。


■解釈と現代的意義

この偈は、「真に自由な心とは何か」を端的に語っています。多くの人は善悪の判断、結果への執着、世間の価値観に縛られ、そこから恐れが生じます。しかし、心が清浄で、価値判断からも自由であれば、恐れは存在し得ない――という深い洞察が示されています。

これは現代においても極めて有効な考え方です。多忙な社会、成果主義、評価への執着などが心を乱す現代において、恐れの根源は「自分自身の内面」にあることを示唆しています。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
リーダーの安定性他人の評価や上下関係に囚われず、清らかな動機に基づいて行動する者は、動じず、恐れない。
恐れの克服失敗への恐怖・人間関係の不安は、執着と判断の産物。そこから離れる訓練が、真の自由を生む。
公平な判断善悪の二元的評価ではなく、全体を俯瞰する視点を持つことで、本質的で建設的な判断が可能に。
パフォーマンスの持続性心が汚れず、動揺せず、執着から解き放たれたとき、人は真に自然体で働くことができる。

■心得まとめ

「澄んだ心にこそ、恐れは入り込めない」

恐怖、不安、迷い――それらは外にあるのではない。心が執着や判断で曇っているとき、それらは生まれる。だが、心が静かに清らかで、偏見から離れ、真理に目覚めていれば、何ものもそれを脅かすことはできない。ビジネスの場でも、真に動じない人物とは、成果への執着を超えた「覚醒した心」を持つ者なのだ。

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