📖 引用原文(『ダンマパダ』第33章「バラモン」第29偈・29A偈)
二九
福徳をも、禍いをも超え、
両方の執著をも超え、
執著そのものを超越して、
何ものにもとらわれぬ人、
かれをわれは〈バラモン〉と呼ぶ。
二九A
前にも、後にも、中間にも、
何ものも存在せず、
塵のような汚れを離れ、
諸の束縛の絆から脱れた人、
かれをわれは〈バラモン〉と呼ぶ。
🔍 逐語訳(意訳)
二九
幸運や不運にとらわれることなく、
どちらにも執着せず、
その執着心すらも超え去った人――
その人こそ、〈バラモン〉である。
二九A
過去にも、未来にも、現在にも、
「私のもの」と言える存在はなく、
すべての穢れ(欲・怒り・無知)を離れ、
束縛を完全に断ち切った人――
その人こそ、仏陀の定める〈バラモン〉である。
🧘♂️ 用語解説
- 福徳・禍い(プンニャ/パーパ):善業と悪業。どちらも輪廻(サンサーラ)の原因となり得る。
- 執著(ウパーダーナ):心理的な「とらわれ」「こだわり」。価値判断への固執。
- 前・後・中間(アディ・マッジャ・アンタ):時間的存在(過去・現在・未来)や自己同一性の幻想。
- 塵のような汚れ(ラジャ):心の曇り。微細な煩悩や無明。
- 束縛の絆(サンヨージャナ):五下分結・五上分結など、輪廻に縛る心の習性群。
🗣 全体の現代語訳(まとめ)
善いことにも悪いことにも、とらわれず、
そのどちらにも執着しない。
そして、執着そのものを超越して、
心が何ものにも引き寄せられない人。
また、過去・現在・未来のいずれにも「これが自分だ」と思うものがなく、
心の微細な汚れすらも捨て去って、
すべての束縛から完全に自由になった人――
その人こそ、仏陀が〈バラモン〉と呼ぶにふさわしい存在である。
🧭 解釈と現代的意義
この二偈は、仏教的「自由」の頂点を描いています。
福も禍も、善も悪も、成功も失敗も――それらは現象であり、
そこに「意味」や「価値」を与えてとらわれることが、人間の苦しみの根源です。
さらに29A偈は、「存在そのものに対する執着の消滅」を説きます。
「自分がいた(過去)」「今いる(現在)」「こうなりたい(未来)」――
その三時の思考すら離れた、まったき自由。
このような在り方は、「存在を超えた目覚め」であり、
仏教が理想とする**涅槃(ニッバーナ)**そのものの姿です。
🏢 ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 応用・実践例 |
---|---|
成果に対する執着の超克 | 成功・失敗を「評価」ではなく「過程」として見る姿勢。 |
過去・未来への囚われからの脱却 | 「あのときこうだった」「将来こうすべき」といった想念から離れ、今に集中するマインドフルネス的実践。 |
内的自由の確立 | 他人の評価や報酬制度から心が自由である人ほど、創造性と安定感を兼ね備える。 |
リーダーシップの根源 | どんな状況でも静かで、ぶれない人間には、自然と人が集まる。 |
💡 感興のことば:心得まとめ
「とらわれなき者は、過去にも、未来にも、いない」
善にも悪にも引かれず、
時間や出来事にも心を置かず、
すべての執着を手放した人――
その人こそ、自由という名の頂に立つ。
仏陀はその姿を〈バラモン〉と呼び、
人間としての完成のかたちとしたのです。
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