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📖 引用原文(『ダンマパダ』第33章「バラモン」第15偈)
私は、バラモンの母の胎から生まれた者を、
「バラモン」とは呼ばない。
もしその人が、何かを「所有している」ならば、
それはただ「君よ」と呼びかけられる存在にすぎない。何ものも所有せず、執着をもたない人――
私はその人こそを〈バラモン〉と呼ぶのである。
――『ダンマパダ』第33章 第15偈
🔍 逐語訳(意訳)
バラモンの家に生まれ、形式的にその身分をもっていたとしても、
もし何かに「これは私のものだ」と執着しているのなら、
その人はただ、尊敬の意味で「君よ」と呼ばれるだけの存在であり、
真の意味でのバラモンではない。
あらゆる所有を放棄し、執着を持たない人――
そのような人こそが、真に〈バラモン〉と呼ばれるにふさわしい。
🧘♂️ 用語解説
- 胎から生まれたバラモン:世俗的カースト制度における「バラモン階級」の人々。仏陀はその形式を否定する。
- 〈きみよ〉と呼ばれる者(ブーロ・ティ・ヴァチャナム):尊敬されはしても、解脱した者ではない。名目的な地位を表す。
- 所有(アットヒ):物質的所有だけでなく、「自我意識」「関係」「名誉」など広範な執着対象を含む。
- 無一物(アナンガン):何ものも自分のものとして抱えず、内面の自由を得ていること。
- 執著(アナーラッハ):貪り、こだわり、心のとらわれのすべて。
🗣 全体の現代語訳(まとめ)
生まれながらにバラモンの家に属していたとしても、
もしその人が何かにしがみつき、執着しているのなら、
それはただの社会的な呼称にすぎない。
何も自分のものとせず、すべてのとらわれを手放して生きている者――
そのような人こそが、真に〈バラモン〉である。
🧭 解釈と現代的意義
この偈は、物や肩書、関係性への執着を超えてこそ、人は精神的に自由になれるということを説いています。
現代においても、所有・成果・ブランド・地位といった「何かを持っていること」が人の価値のように錯覚されがちですが、仏陀はそこに明確に警鐘を鳴らしています。
人は、持たないからこそ自由になり、執着を超えた者にこそ、本当の尊厳と尊敬が集まるのです。
🏢 ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 応用・実践例 |
---|---|
所有の呪縛からの自由 | 「自分の実績」「自分のポジション」に固執すると、組織の変化に適応できなくなる。 |
無執着の判断力 | 公平かつ冷静に判断を下すには、利益や名誉に心が縛られていない状態が不可欠。 |
役職ではなく心の姿勢 | 部長や社長という肩書きで尊敬されるのではなく、内面の潔さ・利他的姿勢が本当の尊敬を生む。 |
“放棄の美学”のリーダーシップ | 権限やこだわりを手放し、後進や社会に委ねることができる人が、成熟したリーダーである。 |
💡 感興のことば:心得まとめ
「持たぬ者こそ、真に満ちている」
持ちすぎると、縛られる。
欲しすぎると、見えなくなる。
仏陀は、一切を手放した人こそが、最も自由で、最も尊いと教えている。
真の高貴さは、「何を持っているか」ではなく、「何を手放せたか」で決まる。
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