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欲も慢心も捨てたとき、人は真に安らぐ


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📖 引用原文(『ダンマパダ』第33章「バラモン」第14偈)

その人のうちには、
欺きがなく、慢心がなく、貪欲がなく、
「これはわたしのものだ」という観念もなく、
欲望も抱かず、過ちを除いており、
自らがすでに解き放たれ、安らぎに帰した者――

彼こそが〈バラモン〉であり、〈修行者〉であり、〈比丘(修行僧)〉である。
――『ダンマパダ』第33章 第14偈


🔍 逐語訳(意訳)

その人には、
偽りがなく、うぬぼれがなく、むさぼる心がなく、
「これは自分のものだ」という執着もなく、
何かを強く望む気持ちもなく、
過ちを捨て、
内面の束縛から自らを解き放ち、静寂と安らぎの境地に至った者――
そのような人こそが、
〈バラモン〉であり、〈修行者〉であり、〈比丘〉である。


🧘‍♂️ 用語解説

  • 欺き(マーヤー):偽り、ごまかし、欺瞞。他人を騙すだけでなく、自分を欺くことも含む。
  • 慢心(マーナ):優越感や自我の誇り。「自分は偉い」という思い上がり。
  • 貪欲(ローバ):執着する欲望。物質的・感情的な所有欲。
  • 「わがもの」観念(ママーカーラ):自我執着。「これは自分のものだ」という心の束縛。
  • 望むところ(アーサ):未来への期待、欲望、執着の投影。
  • 過ちを除く(パーパカ・ダンマの断絶):不善な行為・思考を断ち切る。
  • 解きほぐされる(ヴィムッタ):心の束縛から解放された状態。解脱。
  • 安らぎ(サンタ):内的静寂・平安。ニッバーナ(涅槃)に通じる状態。

🗣 全体の現代語訳(まとめ)

真の修行者とは――
人を欺かず、思い上がらず、欲に支配されず、
「これは自分のものだ」とも考えず、
なにかを貪り求めることもなく、
あらゆる過ちを捨てて、
心の束縛から自らを解き放ち、安らぎに到達した者である。
その人こそ、〈バラモン〉〈修行者〉〈比丘〉と呼ばれるにふさわしい存在なのだ。


🧭 解釈と現代的意義

この偈は、形式や行動ではなく、「心の在り方」そのものを基準とする最も厳粛な教えです。
欺かず、慢心せず、欲を捨てる――このような徹底した内面の鍛錬があってはじめて、人は本当に自由となり、他人からも信頼される存在になります。

現代の社会でも、肩書きや実績以上に、**「心の落ち着き」や「エゴのなさ」**が人の品格として見直されています。この偈は、そうした人格の核心に迫る内容です。


🏢 ビジネスにおける解釈と適用

観点応用・実践例
利己的でないリーダーシップ「自分がどう見られるか」ではなく、「皆がどう良くなるか」を考える姿勢が尊敬を集める。
所有と執着の分離モノ・成果・名誉への執着を手放し、目的そのものに集中することで判断力が高まる。
感情に支配されない対応欲や怒りに左右されず、冷静に安定した対応を続けることが信頼につながる。
誠実な姿勢の積み重ね偽りを排し、慢心せず、自らを律し続けることが、長期的な影響力の基盤になる。

💡 感興のことば:心得まとめ

「欲なき静けさの中に、真の人格が育つ」

欺かず、誇らず、欲しがらず――
そのようにして心の中の縄を解き、静かに歩む者が、
真に自由であり、尊敬される存在となる。
「バラモン」とは、地位ではなく、生き方の清らかさの名前なのである。


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