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無知の毒に気づき、智慧の薬で中和せよ


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📜引用原文(日本語訳)

第六十四偈
蛇の毒が(身体に)ひろがるのを薬でとめるように、
迷妄が起ったのをとめる修行僧は、
こなたの岸を捨て去る。
蛇が旧い皮を脱皮して捨て去るようなものである。
― 『ダンマパダ』 第二章 第六十四偈


🔍逐語訳(意訳)

  • 蛇の毒が(身体に)ひろがるのを薬でとめるように
     心に広がる迷い・誤解・錯覚は、放っておけば苦の連鎖を生む。それを智慧によって抑えるたとえ。
  • 迷妄が起ったのをとめる修行僧は
     事実を正しく見る力(正見)をもって、無知からくる誤判断・苦悩を断ち切る人。
  • こなたの岸を捨て去る
     煩悩や無明にとらわれた現世から、彼岸(解脱)へ向かう。
  • 蛇が旧い皮を脱皮して捨て去るようなものである
     迷いを脱ぎ捨てて、新たな覚醒の境地に至る様。

📚用語解説

用語意味
迷妄(アヴィッジャー)無知・無明。仏教において最も根源的な煩悩であり、すべての苦しみの源。
明知(般若)や正念(サティ)によって、錯覚を打ち破る手段。
こなたの岸/彼岸「こなた」=煩悩にまみれた現世。「彼岸」=涅槃・覚醒の境地。

🪞全体の現代語訳(まとめ)

人は自分が何を知らずに生きているかにすら気づかず、
誤ったものの見方や執着の中で苦しみ続けている。
しかし、修行者は「迷い」が起こるやいなや、
それに気づき、「智慧の薬」によって制する。

その人は、
もはや執着と錯覚の世界(こなたの岸)に
留まることなく、
まるで蛇が皮を脱ぐように、
より清浄な世界へと歩を進めるのである。


🧠解釈と現代的意義

この偈は、「憎しみ」や「愛執」よりも根本的な障りである「無知(迷妄)」を見抜く力の重要性を説いています。

  • 自分の偏見や思い込みに気づけるか
  • なぜ怒ったのか/なぜ苦しいのかを見極められるか
  • 他者の見方を借りる柔軟さがあるか

つまり、真の成長とは、「知っているつもり」から脱することに始まるのです。


💼ビジネスにおける解釈と適用

観点応用例
自己認識の深化うまくいかない原因を「外」に求める前に、自分の思考の枠を見直す。
誤解の発見力問題が生じたとき、早期に「何を見落としていたか」を認識できるチームは強い。
組織の学習力「間違いを許容する文化」ではなく、「学び直しを歓迎する文化」が成長を生む。
リーダーの透明性自分の無知を認められるリーダーは、周囲の信頼と助力を引き出すことができる。

✅心得まとめ

「気づけぬ無知が、最大の毒である」

怒りや欲望よりも深く、
人を縛り続けるのは「知らないことに気づかない心」。
そのときこそ、「智慧という薬」を手にし、
あなた自身の皮を脱ぎ、新たに歩み始めるべき時である。


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