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愛執を離れてこそ、真の自由がある


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📜引用原文(日本語訳)

第五十三偈
泥沼をわたりおわって、村の刺を粉砕し、
愛執を滅ぼすに至った人、
かれこそ〈修行僧〉と呼ばれるのである。
― 『ダンマパダ』 第二章 第五十三偈


🔍逐語訳(文ごとの意訳)

  • 泥沼をわたりおわって:迷いと苦しみの世界(輪廻)を越えた者。
  • 村の刺を粉砕し:五感の誘惑や外界の刺激に動じない境地に至った者。
  • 愛執を滅ぼすに至った人:「これは私のもの」「この人なしではいられない」という執念や情的な依存を完全に手放した人。
  • かれこそ修行僧と呼ばれるのである:そのような心の自由を得た者が真の修行者である。

📚用語解説

用語意味
泥沼(サンサーラ)苦しみと迷いの世界。生と死を繰り返す輪廻の比喩。
村の刺感覚の世界で心を乱す刺激・欲望の象徴。
愛執(Upādāna)愛着・依存・執念。人・物・立場などに対しての「執する心」。仏教における苦の原因の一つ。

🪞全体の現代語訳(まとめ)

五感の誘惑を克服し、
欲望や怒りだけでなく、
最も根深い感情的な執着――**「愛執」**までも手放した人こそ、
真の意味で自由な、そして静かに歩む修行僧である。


🧠解釈と現代的意義

「愛執」とは、単なる愛情ではありません。
それは「手放したくない」「失いたくない」「自分のものでありたい」といった執着の愛です。

この偈が示すのは:

  • 他人との関係に依存しない心の強さ
  • 持っているものに執着せずに手放せるしなやかさ
  • 自分が何かに「とらわれている」ことへの気づきと超越

です。

人はつい、誰かに依存し、何かを持ちたがり、「失うこと」を恐れます。
しかしその不安こそが、苦しみの源です。
愛執を滅するとは、依存から自立への道です。


💼ビジネスにおける解釈と適用

観点応用例
リーダーの資質メンバーに過剰に依存せず、自律した関係を築くことで、チームの健全性が保たれる。
物への執着を捨てるポジションや権限に執着せず、「必要であれば手放す」という選択ができるのが真の成熟。
感情と判断の切り分け感情のつながり(好悪・仲間意識)に左右されず、正しく物事を判断する力が問われる。
ブランディングと自己認識会社の評判やイメージに執着せず、実態と信念に基づいた行動をとることが長期の信頼につながる。

✅心得まとめ

「本当の愛は、手放してもなお続く」

愛執を手放すとは、冷たくなることではない。
依存や執念から離れ、自由な心で人と向き合う力である。
そのとき人は、真の静けさと慈しみを得る。


この偈は、前の五十〜五十二偈と共に、**心の中に巣くう五つの煩悩(情欲・瞋恚・愚痴・慢・愛執)**を滅した者が〈修行僧〉と称されることを締めくくるものです。

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