目次
📜引用原文(日本語訳)
第五十二偈
泥沼をわたりおわって、村の刺を粉砕し、
貪ぼりを滅ぼすに至った人、
かれこそ〈修行僧〉と呼ばれるのである。
― 『ダンマパダ』 第二章 第五十二偈
🔍逐語訳(文ごとの意訳)
- 泥沼をわたりおわって:煩悩に満ちた苦の世界(サンサーラ)を超えて、涅槃の静けさに至った者。
- 村の刺を粉砕し:五感の欲望を刺激する感覚対象(音・色・香・味・触)を断ち切った者。
- 貪ぼりを滅ぼすに至った人:財物・快楽・地位・支配などへの執着=貪欲(ローバ)を完全に断じた人。
- かれこそ修行僧と呼ばれるのである:外見的な托鉢僧ではなく、内面の執着なき存在こそが真の比丘(修行僧)。
📚用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
泥沼 | 輪廻する迷いの世界(サンサーラ)。苦・老・死・煩悩の象徴。 |
村の刺 | 感覚器官が接触する対象。欲望の発火点。 |
貪ぼり(貪欲, ローバ) | 仏教における三毒(貪・瞋・痴)の一。飽くなき欲望、手放せぬ執着。 |
🪞全体の現代語訳(まとめ)
人生という苦しみの海を渡り終え、
欲望の火種である感覚の刺激を克服し、
さらにすべての貪り=執着の心を完全に断ち切った人。
その人こそ、真に静まりきった心を持つ修行僧である。
🧠解釈と現代的意義
この偈が示す「貪欲の克服」は、仏道における修行の出発点であり、到達点でもあるといえます。
貪欲は、いくら満たしても満足しない性質を持つため、心の平安を根こそぎ奪う最大の敵です。
すでに持っているものではなく、
手に入らないものに意識が向いた瞬間に、
心は渇き、苦しみが始まる。
一方、貪欲を滅したとき――
- 必要以上に求めない安心感
- 比べない心の平等
- 足るを知る静けさ
- 物質や承認に依存しない強さ
が得られます。
💼ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 応用例 |
---|---|
経営と執着 | 成長や利益を求めること自体は悪ではないが、それに「執着」した瞬間、柔軟さと倫理性を失う。 |
足るを知る働き方 | 昇進や報酬を無理に追い求めるのではなく、「今ある責務」を深く味わう姿勢が充実感を生む。 |
マーケティング視点 | 顧客の貪欲を刺激する広告は短期的には効果があるが、長期的信頼を損なうことが多い。 |
チームマネジメント | 成果やポジションの奪い合いではなく、「貢献」の循環を評価軸にした運営が持続力を生む。 |
✅心得まとめ
「求めれば求めるほど、心は遠のく。
捨てたとき、心は静かに満たされる。」
欲望は、無限に広がる砂漠のようなもの。
その渇きを癒す方法は、満たすことではなく、
渇きを手放すことである。
この第五十二偈は、「三毒」すなわち「貪・瞋・痴」のうち最後の**「貪」**を克服した修行者を讃えています。
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