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説く者であっても、まず離れよ――語る前に、己の迷いを見よ


目次

📜引用原文(日本語訳)

第三六偈
迷いの生存が迷いの生存と離れて脱することを
つねに説く人々がいるが、
迷いの生存から*未だ出離していない
それらすべての人々に対して、
われはつねに語るのである。
― 『ダンマパダ』 第二章 第三六偈


🔍逐語訳(文ごとの意訳)

  • 迷いの生存が迷いの生存と離れて脱することをつねに説く人々がいる:迷いの世界(サンサーラ)から抜け出す方法について、言葉で語る者がいる。
  • 迷いの生存から未だ出離していないそれらすべての人々に対して:しかし彼ら自身がまだ、欲や執着、無明(無知)の迷いから自由になっていない。
  • われはつねに語るのである:そのような未完成の者たちに対して、私は常に語りかけ、導こうとする。

📚用語解説

用語解説
迷いの生存(サンサーラ)生死を繰り返す輪廻の苦しみの世界。欲望・怒り・無明によって生み出される。
出離(しゅつり)世俗の執着や煩悩から離れること。仏道における精神的な自由の獲得。
語る人々修行僧・指導者・学者など、仏法を説くが、実践的には未熟な人々。
われ(仏)仏陀自身。真に覚りを得た者として、迷える者を慈悲心から導こうとする存在。

🪞全体の現代語訳(まとめ)

この世には、迷いの生存から抜け出すことを
声高に説く人々がいる。

しかし、彼ら自身がその迷いから
未だ抜け出していないのである。

私は、そのような人々にこそ、
真実の教えを語りかけ、
解脱の道へと導こうとする。


🧠解釈と現代的意義

この偈は、知識や言葉だけでは悟りに至れないことを示します。
「解脱を語ること」と「解脱に至ること」はまったく別のものであり、
説くことができる=できているとは限らない――という厳しい真理がここにあります。

また、仏が「そのような未熟な人々に対しても語りかけ続ける」という点は、
仏教の慈悲と導きの姿勢を象徴しています。

現代の私たちにも当てはまるのは、

  • 知識はあるが行動が伴っていない
  • 正論を語るが、自ら実践していない
    というような場面で、自身を振り返るための警句となります。

💼ビジネスにおける解釈と適用

観点応用例
リーダーの「言葉と行動」の一致部下に理念や行動規範を説いても、自分自身が体現していなければ、信頼は築けない。
「知っていること」と「できていること」の差理論や知識を持っていても、実行に移していない場合は、まだ成長の途上。
「語るより実践」が信頼を生むチームにおいては、説教よりも行動の背中を見せることが影響力をもたらす。
コンサルタント型マネジメントの注意点言葉によるマネジメントに偏ると、実務との乖離が生まれ、チームとの温度差が生じる。

✅心得まとめ

「説く者は、己の実践を問い、
導く者は、己の影を見よ。」

言葉だけで「解脱」や「幸せな生き方」を語る者は、
真に解脱を知っていないかもしれない。

実践なき知識に満足せず、
真の自由を求めて歩む者こそ、
仏の導きにふさわしい者である。


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