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欲なく、執なく、独り歩む者こそ真の行者


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📜引用原文(日本語訳)

五*
しかし、かの物で生き、軽やかで、自己をもとめようと欲し、諸の感官を制し、至るところにおもむき、解脱していて、家なくして往来し、「わがもの」という観念が無く、望むところも無く、欲望を捨てて、独り歩む人、
かれこそ修行僧なのである。
― 『ダンマパダ』 第二章 第五偈


🔍逐語訳(文ごとの意訳)

  • かの物で生き:必要最小限の物資・食糧などだけで生き、贅沢に依存しない。
  • 軽やかで:執着に縛られず、心も行動も軽快である。
  • 自己を求めようと欲し:真の自己、すなわち悟りや涅槃に至る道を求めている。
  • 諸の感官を制し:五感を通じて生じる欲望に支配されないよう制御している。
  • 至るところにおもむき:場所や環境にとらわれず、自由に動き、心もまた束縛されていない。
  • 解脱していて:煩悩から解き放たれている。
  • 家なくして往来し:家庭や物理的拠点を持たず、独立した存在である(出家者の象徴)。
  • 「わがもの」という観念が無く:所有の執着を持たず、「私のもの」という思いを超えている。
  • 望むところも無く、欲望を捨てて:何かを得たいという欲求を手放している。
  • 独り歩む人:他人に依存せず、精神的にも自立している。

📚用語解説

用語解説
軽やか執着や不安から解放された状態。心理的にも物質的にも「軽い」。
自己を求める仏教では「真我」を求めるというより、「無我」を知るための修行。
感官を制す五感の刺激に支配されず、欲望を起こさないこと。
解脱(げだつ)一切の煩悩・苦から解放された境地。涅槃と同義。
独り歩む外的支えに頼らず、孤高にして自由な精神。修行完成者の在り方。

🪞全体の現代語訳(まとめ)

最低限のもので生き、執着なく軽やかに歩み、真理を求めて感官を制し、どこにでも赴く自由さを持つ。
物への所有意識や欲望も捨て、独りで心穏やかに生きる者――このような人物こそが、真の修行者である。


🧠解釈と現代的意義

この偈が描くのは、「真の自由と独立を得た人の姿」です。
現代では多くの人が物に囲まれ、欲望や関係性に縛られながら生きています。しかし仏教が理想とする修行者の姿は、「物を持たず、他人に依らず、ただ真理を求めて軽やかに歩む者」。
これは単なる物理的な孤独ではなく、精神的な自立と自律的な人生
の象徴でもあります。


💼ビジネスにおける解釈と適用

観点応用例
ミニマリズムと集中必要なものだけを持ち、余計な情報・資産・人脈に囚われず、目的に集中することで成果を高める。
精神的自立上司や制度に依存せず、自らの信念と判断で動く人が、最も尊敬される存在になる。
フットワークの軽さ地位や固定概念に縛られず、新しい環境にも自由に対応できる柔軟さは、現代のビジネスパーソンに不可欠。
非所有・非執着のマインドプロジェクトやポジションへの過度な執着を持たず、より良い方向に自然に身を移す姿勢が長期的な成長につながる。

✅心得まとめ

「何も持たず、何にも縛られず、それでも揺るがぬ者こそ真の強さ」

持たないことで得られる自由、望まないことで得られる静けさ、
そして独り歩むことによって得られる成熟――それらを備えた人は、言葉にせずとも、その背中で真理を語る。
静けさと自立の中にこそ、真の力は宿る。


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