目次
📜 引用原文(『ダンマパダ』第39偈)
覚のよすがに心を正しくおさめ、貪り取ることを捨て去って、
執著のない境地に依存し、煩悩を滅ぼし尽して過ちを除き去った人々は、
この世にあっても、全く解きほごされて安らいでいるのである。
🪶 逐語訳(意訳)
- 真理の悟り(覚)のためのよりどころとして、心をまっすぐに保ち、
- あらゆる貪欲(むさぼり)を断ち切り、
- いかなる対象にも執着せず、自由の境地に身を置く者たちは、
- 欲望や無明という煩悩を滅ぼし、過ちからも脱した人々である。
- 彼らはこの現世に生きていながらも、完全に自由で、安らぎのなかにいる。
📘 用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
覚のよすが(buddhiyā nissāya) | 仏道・智慧の道を進むための支え。覚醒・真理に到達するための指針。 |
心を正しくおさめる(cittaṃ ujuṃ karoti) | 心を乱さず、真理に沿って整えること。 |
貪り(lobha)を捨てる | 欲望・執着・所有欲を手放すこと。 |
執著のない境地(nibbānaに近い状態) | 対象や結果にとらわれず、自由な心の状態。 |
煩悩(kilesa)を滅ぼす | 無明・貪り・怒りなどの根本的な心の汚れを断つこと。 |
過ち(āpatti)を除く | 行為や思考における誤りを離れ、純粋な存在になること。 |
🧾 全体の現代語訳(まとめ)
悟りへの道を支えとして、心をまっすぐに整え、
欲望を断ち切り、いかなる物にも執着しない人は、
すでに煩悩を断ち切り、過ちから解放されている。
そのような人々は、この現実世界にあっても、
何ものにも縛られず、安らぎのうちに生きている。
彼らは、生きながらにして「自由な存在」となっているのである。
🔍 解釈と現代的意義
この偈は、**「自由とは状態ではなく、心のあり方である」**ことを教えています。
解脱とは死後に得るものではなく、
煩悩と執着から自由になった今、この瞬間に実現し得る境地なのです。
現代人の多くは、心の外に自由を求めがちです。
たとえば、時間・お金・地位・健康など。
しかし、仏陀は語ります:
「自由とは、心の内にこそある。」
この世に生きながら、完全に束縛を離れた人。
それが、智慧によって「覚の道」によって導かれた者なのです。
💼 ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
心の自律と集中 | 周囲の騒音や誘惑に流されず、自分の原理・理念に基づいて心を整えることが、真のプロフェッショナルを作る。 |
脱・成果至上主義 | 目標に向かいつつも、その達成や報酬に囚われない働き方こそが、継続的で心地よい実践を生む。 |
内面の静けさの重要性 | 外的な環境や変動に関係なく、心の平穏と自己規律を持つことで、判断力と人間性の深みが磨かれる。 |
真の「解放」感の醸成 | 本当の意味での自由とは、他者・環境・条件への過度な依存を断ったところにある。これはリーダーにも必須の力。 |
💡 心得まとめ(結びのことば)
「心をまっすぐにせよ。貪りを捨てよ。執着を離れよ。そうすれば、今ここに自由がある。」
「縛られぬ心が、最大の資産である。」
この偈は、「智慧の完成」と「現実世界での解脱」という、
仏教の到達点を示しています。
つまり、悟りとは遠い未来ではなく、整えた心と離欲の実践の中にある。
それは、ビジネスや日常においても、
心を軸にした持続可能な自由と安定をもたらす、生き方の提案でもあります。
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