📜 引用原文(出典:『ダンマパダ』第1章 第2偈)
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心のように疾く動く。
もしも清らかな心で話したり行動したりするならば、福楽はその人につき従う。
影がそのからだにつき従って離れないようなものである。
(パーリ語原典:
Manopubbaṅgamā dhammā, manoseṭṭhā manomayā;
Manasā ce pasannena, bhāsati vā karoti vā,
Tato naṃ sukhamanveti, chāyā va anapāyinī.)
🪶 逐語訳
- すべてのものごとは心を先に持ち、心を主とし、心によって成り立っている。
- もしも清らかな(喜びに満ちた)心で、言葉を語り、行動を起こすならば、
- 幸せ(福楽)はその人に付き従うだろう。
- それは、影が身体に常に寄り添って離れないようなものである。
📘 用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
清らかな心(pasanna citta) | 信頼・慈悲・誠実・落ち着きに満ちた心の状態。濁りや執着、怒りがない透明な心。 |
福楽(sukha) | 一時的な快楽ではなく、内的な満足・安らぎ・幸福感。 |
影(chāyā) | 決して離れない存在のたとえ。福楽が常に伴うことを象徴する。 |
🧾 全体の現代語訳(まとめ)
この世界のすべては、まず「心」が先にあり、
心がものごとを動かし、形づくっている。
その心が清らかで、誠実で、平穏であるならば、
そこから出る言葉や行動にも善意と調和が宿り、
その結果としての「幸福」や「平和」は、
まるで影が身体から離れないように、常にその人に付き従う。
🔍 解釈と現代的意義
この偈は、「行動の前に心を正すこと」が、本質的な幸福への道であることを示しています。
現代では、「何をするか」「どんな成果を出すか」にばかり焦点が当たります。
しかし仏教では、**「なぜそれをするのか」「どんな心で行っているのか」**が最も重要とされます。
例えば、同じ支援や寄付であっても、
見返りを求めたり、優越感からするならば、その行為には雑味があり、
自他ともに清らかな満足にはつながりません。
一方、純粋な動機・清らかな心からの行為は、自然に周囲を和ませ、心に持続する喜びを生むのです。
それは決して一時的な報酬ではなく、長く続く「福楽」としてついてくるというのが、この偈の教えです。
💼 ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
誠実な心から出る行動 | 誰かに見られていなくても、清らかな動機で行う行動は、信頼や支持を呼び、結果として成功をもたらす。 |
ブランドのあり方 | 社会や顧客への本質的な貢献を目指す企業は、自然に信頼を獲得し、持続可能な成長へと導かれる。 |
リーダーシップ | 威圧や成果主義ではなく、誠実で透明なリーダーの心が、チーム全体に信頼と前向きさをもたらす。 |
評価される人材 | スキルだけでなく、誠実で正直な心をもって人や業務に向き合う人は、周囲から長く求められる存在になる。 |
💡 心得まとめ(結びのことば)
「心が清ければ、言葉は和らぎ、行動は調和を生み、結果として幸せが寄り添う。」
「影が離れぬように、誠のある心は、幸福を引き寄せる。」
幸せとは、外から与えられるものではなく、
清らかな心から生まれ出て、そして離れずに続いていくもの。
外の状況にかかわらず、内なる心が調っていれば、
幸福は常にそこにある――その本質が、この一偈に凝縮されています。
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