目次
📖引用原文(日本語訳)
諸の欲望に執著し、つねに迷っている者どもは、束縛のうちに過ちを見ることが無い。
束縛の執著にとらわれている者どもは、広くひろがった大きな流れを、決して渡ることがないであろう。
――『ダンマパダ』 第二七章「観察」第二十七節
🧩逐語訳と解釈
- 諸の欲望に執著し:五欲(色・声・香・味・触)にとらわれている状態。
- つねに迷っている者どもは:真理を知らず、錯覚・妄想にとらわれている人々。
- 束縛のうちに過ちを見ることが無い:執着にとらわれた状態では、自らの誤りすら認識できない。
- 広くひろがった大きな流れ:サンサーラ(生死の大海)を象徴し、あるいは悟りに至るために渡るべき境界とも解釈される。
- 渡ることがないであろう:迷いと執着に縛られた者には、超越=悟りは不可能であるという警告。
🧠用語解説
用語 | 意味・解釈 |
---|---|
欲望(カーマ) | 五感を通じて生まれる快楽への渇望。束縛の根本原因。 |
執著(ウパーダーナ) | 対象への固執。四つの執著(欲・見・戒・我)として説かれる。 |
束縛(バンダナ) | 精神が解放されず、煩悩によって縛られる状態。 |
大きな流れ(マハーナディー) | この世の迷い・煩悩を超え、悟りに至る象徴。 |
渡る(ティリヤーティ) | 苦悩の彼岸を目指して努力すること、修行を通じて解脱へ至ること。 |
🪷全体の現代語訳(まとめ)
欲望にとらわれて生きる人々は、いつも迷いの中にいて、
自分が間違っていることにさえ気づかない。
彼らの心は、執着という鎖に縛られているからだ。
そうした状態のままでは、
どんなに広く深く流れる「悟りの大河」があっても、
その向こう岸――すなわち自由や解放には、決して到達できない。
🌱解釈と現代的意義
この句は、「自覚なき束縛」が最も危険であることを告げています。
欲望や自己中心的な思考に深くとらわれた人は、自分が囚われていること自体に気づかない。
だからこそ、行動も反省もなく、迷いの中で立ち止まったままなのです。
一方、「広くひろがった大きな流れ」は、真理へ至るための「超えるべき境界」です。
それは試練であり、努力を要します。気づきと自己省察がなければ、その流れを渡ることはできません。
この句は、精神的成長には「執着の自覚」と「それを手放す勇気」が不可欠であることを教えています。
💼ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 実務への応用例 |
---|---|
盲目的慣習の見直し | 現状維持に甘んじ、「これでいい」と考える状態は、変化の流れを超えられない。執着を疑う視点が変革の鍵。 |
顧客ニーズの誤認 | 自社の都合(欲望)で製品を見ていると、顧客が本当に求めるもの(真理)を見誤る。 |
自己反省なき組織文化 | 過ちを見ない組織は停滞する。自らの誤りを観察し改善する文化が成長を生む。 |
長期的視点の欠如 | 短期利益(欲望)に固執すると、本質的な成長(彼岸)への道は閉ざされる。 |
📝心得まとめ
「囚われた心は、誤りに気づかぬ。自由な心こそ、真理の岸を渡る」
執着に気づかないことが、最大の束縛である。
欲望に流され、正しさすら見えなくなれば、
解放の流れを前にしても、一歩も進めない。まずは、自分の執着に気づくこと。
それが、渡るべき流れの第一歩となる。
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