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装いは心を惑わすが、真理は飾りに宿らず


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📖引用原文(日本語訳)

髪を分けて八房にしてあり、両眼には膏油が塗られている。
それは愚人を迷わすには足るが、彼岸を求める人々を迷わすことはできない。
――『ダンマパダ』 第二七章「観察」第二十三節


🧩逐語訳

  • 髪を分けて八房にしてあり:手の込んだ美しい髪型。整えられた装飾的外見の象徴。
  • 両眼には膏油が塗られている:目元を魅力的に見せるための化粧や潤い、現代でいうアイメイクに相当。
  • 愚人を迷わすには足る:外見の美しさが、表面的な価値にとらわれた者の心を惑わせることは十分にある。
  • 彼岸を求める人々:真理・悟りを求め、迷いを離れようとする修行者、または賢者。
  • 迷わすことはできない:彼らは、外見に執着せず、本質を見抜く眼を持っている。

🧠用語解説

  • 八房(はちぶさ):髪を細かく分けて丁寧に結い上げる装い。華やかさと女性美の象徴。
  • 膏油(こうゆ):目元に潤いや輝きを与える化粧油。魅力の演出手段として用いられる。
  • 彼岸(パーラ):煩悩や迷いの向こう側、悟り・涅槃の境地。真理を志す人の目標。
  • 迷う(モーハ):無明・錯覚によって本質が見えず、執着や欲望に支配される状態。

🪷全体の現代語訳(まとめ)

丹念に整えられた髪、美しく潤った目――それらの装いは、確かに人を惹きつけ、心を奪う。
愚かな者はその外見にとらわれ、執着と欲望の世界に迷い込むだろう。
しかし、真理を求める者は、それらが一時の装いに過ぎず、無常のものであると知っている。
だからこそ、彼らは迷わない。彼らは外見ではなく、**「内なる静けさ」**に価値を見ている。


🌱解釈と現代的意義

この句は、「美しいもの」への感覚は否定せず、それに支配されることを戒める教えです。
現代では、髪型・メイク・ファッションなどによって自己表現や魅力の演出が日常化しています。
それは社会的役割において必要でもありますが、「それだけが価値ではない」という気づきがなければ、表面だけの判断に終わってしまいます
仏教は、装いを超えた「内の調和」「智慧ある眼差し」をこそ、本当の美としています。


💼ビジネスにおける解釈と適用

観点実務への応用例
第一印象に頼りすぎない判断髪型・服装・態度の印象で評価せず、話す内容・実績・価値観を見る力を養う。
ブランディングの深層化美しいデザインだけではなく、その裏にある哲学や問題解決力がブランド力となる。
採用・人間関係の見極め魅力的なプレゼンや表現より、誠実さ・継続力・課題への向き合い方を見る。
自己演出と自己観察のバランス見せ方を工夫することと、内面を整えることを両立させ、成熟した信頼感を得る。

📝心得まとめ

「飾りは目を楽しませる。だが心を惑わせぬ者は、美の奥に真理を観る」

美しい装いは、確かに人の視線を引きつける。
だが、その魅力に捕らわれず、本質を見つめ続ける者こそが、
真の意味で自由であり、智慧のある生き方をしている。

惑わされるか、観抜くか――すべては眼の持ち方にある。


この句は、前節までのテーマと完全に呼応しており、外見と執着/智慧と自由というコントラストを最後まで描き出しています。

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