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📖引用原文(日本語訳)
つねにこの身体を見よ。王者の車のように美麗である。
愚者たちはそこに迷うが、明らかに知る人々はそれに執著しない。
――『ダンマパダ』 第二七章「観察」第十七節
A:つねにこの身体を見よ。王者の車のように美麗である。
愚者たちはそこに耽するが、賢者はそれに対する執著を離れる。
🧩逐語訳
- つねにこの身体を見よ:この身体を常に観察・洞察せよ。見た目に惑わされず、実相を見よ。
- 王者の車のように美麗である:立派で豪奢に見える身体の魅力を、美しい王の乗り物に喩えている。
- 愚者たちはそこに迷う/耽する:身体の美しさや魅力に心を奪われ、執着・欲望に囚われる人々。
- 明らかに知る人々(賢者):智慧ある者。真理を観る目を持つ修行者や覚者。
- 執著を離れる:身体を「実在の自分」と思い込まず、それに縛られることなく、自由に生きる。
🧠用語解説
- 王者の車(ラージャ・ラタ):権威と美の象徴だが、仏教では無常性の例えとしても用いられる。
- 耽する(たんする):耽溺する、夢中になる、執着すること。感覚的魅力に呑まれる心のあり方。
- 執著(アーサヴァ):仏教で苦しみの原因とされる心の煩悩。
- 観(ヴィパッサナー):事物の真実性を見抜く洞察。美しさの裏にある無常性・空を見極める眼。
🪷全体の現代語訳(まとめ)
身体はまるで王の馬車のように美しく、人々はその輝きに心を奪われやすい。
しかしその美しさに惑わされるのは、真実を知らぬ愚者たちであり、
賢者はその一時的な美しさの背後にある「無常」と「非実体性」を見抜き、執着を離れる。
美しさは否定すべきものではないが、それに囚われる心こそが問題なのだ。
🌱解釈と現代的意義
この節は、身体の「見た目の魅力」と「真理の眼差し」のギャップを際立たせる教えです。
現代社会においては、身体の美しさや健康、外見的価値が過剰に強調されがちです。
しかし仏教はその美を否定するのではなく、「それを観る心の態度」にこそ問題があると説きます。
愚者はその魅力に囚われ、賢者はそれを観察しつつ、執着せずに通り過ぎる。
それが“美に惑わされず、美とともに生きる智慧”です。
💼ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 実務への応用例 |
---|---|
外見主義・ブランディングの超克 | 見た目や表層的な印象にとらわれすぎず、実質や内面の整合性を重視した評価が必要。 |
身体・見栄への過剰投資の戒め | 健康や美しさを大切にする一方で、それを“成功の象徴”としない心構えが重要。 |
採用・人材評価の洞察 | 見た目・経歴・一時的な輝きにとらわれず、内面的資質や価値観に着目した人材選抜を行う。 |
執着からの解放による安定感 | 表層的な承認欲求を手放すことで、プレッシャーや競争から解放された安定した働き方が可能になる。 |
📝心得まとめ
「美に惑わず、美を超えて見る者こそ、真の観者である」
王の車のように美しく飾られた身体に囚われるか、
その美しさの奥にある「移ろい」と「空」を見抜けるか――
その違いが、生き方の深さと自由の境地を分ける。賢者は、輝きを見ても執せず、ただ静かに前を歩みつづける。
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