目次
📖引用原文(日本語訳)
ところがこれを、人々が執著しこだわっている矢であるとあらかじめ見た人は、
「われが為す」という観念に害されることもないし、
「他人が為す」という観念に害されることもないであろう。
――『ダンマパダ』 第二七章「観察」第八節
🧩逐語訳
- これを…矢であるとあらかじめ見た人:自我や他我の観念が苦しみをもたらす“執着の矢”であると、事前に洞察している人。
- 「われが為す」:自分こそが行為の主体であると固く信じる思い込み。
- 「他人が為す」:他人の行為によって自分が損得を被るという二元的な捉え方。
- 害されることもない:そうした観念によって心が惑わされたり傷つけられたりすることがない。
🧠用語解説
- 「矢(サッラ)」:苦しみや迷妄を引き起こす原因。ここでは“我執(がしゅう)”と“他執”を指す。
- 「我が為す」観念(アハンカーラ):自分の存在が中心であるという錯覚からくる行為への執着。
- 「他人が為す」観念:他者の行為に感情や価値を過度に左右される執着。
- 洞察(ヴィパッサナー):物事の本質を見抜く智慧。仏教では瞑想によってこの力を養う。
🪷全体の現代語訳(まとめ)
「私がやった」「あの人がやった」といった自己と他者へのこだわり――その執着自体が苦しみの矢であると理解した人は、
自他への執着から自由であり、何ものにも囚われずに行動できる。
彼らは、自分の行為にも他者の行為にも一喜一憂することがない、静かな解放の境地にある。
🌱解釈と現代的意義
この節は、「行為の主体」に対する執着から解き放たれることで、真の自由を得られるという深い教えです。
「自分がした」「他人のせいだ」という観念は、一見責任感や正義感に見えますが、裏を返せば、自己と他者の二元的な世界に閉じ込められることでもあります。
自他の区別を超えて、「為すべきことを為す」態度こそが、心の静けさと調和をもたらします。
💼ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 実務への応用例 |
---|---|
成果と帰属意識の手放し | 「これは自分の功績」「あれはあの人のミス」といった意識を越えて、チーム全体の善を考える姿勢が、組織の成熟度を高める。 |
冷静な対応力 | 他人の発言や行為に過度に反応しない心の態度が、信頼あるリーダーシップを築く。 |
責任と執着の分離 | 責任を持ちながらも、結果に過剰に執着しないことで、プレッシャーやストレスから解放される。 |
利害超越のマネジメント | 「誰の手柄か」よりも「何が最善か」を優先する判断が、長期的な成功を導く。 |
📝心得まとめ
「誰が為すかにこだわれば、心は傷つき続ける。こだわりを超えた行為にこそ、智慧と安らぎは宿る」
「自分の仕事だ」「あの人の責任だ」――こうした分別の中で、私たちは往々にして傷つき、争い、疲れます。
しかしそれらが「心に刺さる矢」であると見抜いたとき、初めて私たちは、行為に自由を見出し、心に平穏をもたらすことができるのです。
無我と無執着の実践こそが、現代においても変わらぬ智慧なのです。
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