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悟りに至り、生の矢を折る


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📖引用原文(日本語訳)

第二八*
さとりの究極に達し、恐れること無く、
疑いが無く、後悔のわずらいの無い人は、
生存の矢を断ち切った人である。
これがかれの最後の身体である。


🔍逐語解釈と用語の意味

表現意味
さとりの究極(=阿羅漢果)一切の煩悩と無明(無知)を断ち、再び輪廻することがない完全解脱の境地。
恐れること無く生死・死後・他者の評価を一切恐れない安らかな心。
疑いが無く修行や真理への迷い、認識の曇りが完全に消えている。
後悔のわずらいが無い過去に対する執着・自責がすべて終わり、現在にただある状態。
生存の矢(バーヴァサッラ)輪廻の根源=「生きようとする欲望」「存在への執着」。
最後の身体この生が終わると、もはや再生しない。最後の生存であること。

🧘‍♂️全体の現代語訳(まとめ)

さとりの完成に達し、
恐れるものも、疑うことも、悔やむこともない人は、
「生きたい」という執着(生存の矢)を完全に断ち切った者である。

その人にとって、
今のこの身体が最後であり――
もはや輪廻に戻ることはない。


💡解釈と現代的意義

この句は、仏教的修行の最終地点を明示しています。
「生きようとすること」さえも、執着であり苦しみの原因であると説くのは、
非常に深遠でありながら、現代の私たちにも重要なヒントを与えてくれます。

それは、「死を願え」という話ではありません。
むしろ逆に――

生きることへの“執着”を離れたとき、人は真に自由に生きられる

という、自由な在り方の提案なのです。


💼ビジネスにおける適用

観点適用内容
恐れのない意思決定「失敗したらどうしよう」という恐れを離れ、自分の判断に静かに従う勇気。
迷いのない行動経験・観察・鍛錬によって、自分にとっての「真理」を体得した人は、もう迷わない。
後悔に縛られない過去の選択や判断にとらわれず、「今、最善を尽くす」に集中できる心の構え。
“成功しなければ”という生存欲の手放し地位・評価・報酬を追う姿勢から離れ、「本質的な価値の創造」に専心できる境地。

✅心得まとめ

「さとりに至った者は、もはや生きようとさえ思わない」
それは死を望むのではなく、
「生きねばならない」という焦燥すらもなく、
完全な静けさの中に、今を生きるということ。

恐れなく、迷いなく、悔やまずに、
ただ淡々と、自分に与えられた最後の使命をまっとうする姿――
それこそが、「さとりに至った者の働き方」なのです。


この第二八節は、前の第二七節(沈黙による知)に続く
**「その知を身に帯び、いま、最終の生を生きる者」**を描いたものです。

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