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光も言葉も届かぬところに、真の静けさはある


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📖引用原文(日本語訳)

二四*
そこには、すでに有ったものが存在せず、
虚空も無く、識別作用も無く、
太陽も存在せず、月も存在しない
ところのその境地を、
わたくしはよく知っている。


🔍逐語解釈と用語の意味

表現意味
すでに有ったものが存在せず過去のあらゆる記憶・経験・時間的存在を超えた世界。時間と歴史の執着が断たれている。
虚空も無く空間すらない、三次元的認識を超えた次元。対象としての「場」が消えている状態。
識別作用も無く「これは〇〇である」と分別する心のはたらき(識)が消滅している状態。無識の境地。
太陽も月も存在しない昼夜の区別、光と闇といった二元的相対の消滅。象徴的には「知の光」「無明の闇」すら超えている。
その境地を、わたくしはよく知っている単なる観念や説明ではなく、実際に到達した体験知として語られる悟りの証言。

🧘‍♂️全体の現代語訳(まとめ)

そこには、
もう過去の記憶や出来事といった「すでにあったもの」はなく、
空間という広がりも、
「これは〇〇である」と識別する心のはたらきすらもない。

太陽の光も、月の輝きもない――
すなわち時間も空間も、光も闇も、すべてが静かに消えた境地である。

私は、その世界を体験によってよく知っている。


💡解釈と現代的意義

この句は、仏教で説かれる究極の解脱、
すなわち**「無相・無為・無識・無限」**の境地を、詩的に表現したものです。

この境地には、

  • 過去(時間)もなく
  • 空間の広がりもなく
  • 識別や思考もなく
  • 光(太陽)も闇(夜)もない

それは言い換えれば、私たちが世界を理解するために使っているすべての枠組みが消えた状態です。
しかし、それは「無」ではなく、沈黙の中に充満する“在る”の体験です。
そしてその「無を超えた在る」こそが、仏陀が示すニルヴァーナ=安楽そのもの。

このような境地は説明できないがゆえに、**「わたくしはよく知っている」**という直接体験だけが語られるのです。


💼ビジネスにおける適用

この句は抽象度が高いですが、現代の思考と感情が飽和したビジネス環境において、次のような洞察を与えてくれます。

観点適用内容
フレームを超える思考固定観念や過去の成功体験(=「すでに有ったもの」)に縛られない革新的視点の獲得。
沈黙と空間の再評価思考と言葉によるコントロールを離れ、“何もしない静けさ”から創造性が湧く。
「判断しない」リーダーシップ識別(判断)を止めることで、相手や状況をそのまま受け入れる包容力が生まれる。
超越的ビジョンの獲得光(成果)や闇(失敗)にとらわれず、現象の外にある永続的なビジョンへと向かう力。

✅心得まとめ

「時間も空間も超えて、ただ在る。そこに至ったとき、人は本当の静けさを知る」

何かを知ることでも、得ることでもない。
何もない“それ”を、ただ感じ取る――

それが**仏陀の語る「究極の安らぎ」**であり、
この世界の騒がしさを抜け出した先にある、
**言葉にならない光明(けみょう)**なのです。


この句は、これまでの1〜23節が説いてきた「行動・洞察・離欲・止滅」のすべてを超えた、
絶対的な“存在の終息点”を仄かに照らす詩句です。

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