目次
📖引用原文(日本語訳)
二三*
それの出離であって、
思考の及ばない静かな境地は、
苦しみのことがらの止滅であり、
つくるはたらきの静まった安楽である。
🔍逐語解釈と用語の意味
表現 | 解釈 |
---|---|
それの出離 | 「それ」とは五蘊・煩悩・有為法など、すべての苦の原因を指す。そこから離れること(離貪・離我)。 |
思考の及ばない | 言葉・論理・観念では捉えきれない、体験的な智慧の静けさ(般若)。 |
静かな境地 | 一切の動き・欲望・分別・執着が止んだ、究極の精神的静寂(涅槃)。 |
苦しみのことがらの止滅 | 苦しみを生む構造全体(因縁・煩悩・渇愛など)の根本的終息=四聖諦の「滅諦」。 |
つくるはたらき(行/サンカーラ) | 意志・欲望・判断など、心が「何かを生み出そう」とする活動全般。 |
静まった安楽(ニルヴァーナ) | 何もつくらず、求めず、動かない状態。真の平安と喜びがそこにある。 |
🧘♂️全体の現代語訳(まとめ)
一切の執着・思考・欲望といったものから離れ、
もはや言葉や観念では語れない静寂の境地に至ったとき――
そこには、苦しみを構成していた全てが終わり、
何かを“つくろうとする心のはたらき”さえも完全に静まった、
**究極の安楽(ニルヴァーナ)**があると説かれている。
💡解釈と現代的意義
この句は、**「苦しみの終滅=ニルヴァーナ」**の性質を定義するものです。
重要なポイントは次の3つです:
- 思考の及ばぬ世界:これは瞑想や智慧によって体験される「無分別智(無二の知見)」であり、論理や理屈では到達できません。
- つくるはたらきが止んだ状態:私たちは常に「どうすれば良くなるか」「何を得ようか」と思考を動かし続けます。しかしそれ自体が苦の始まりです。
- 出離・止滅・静寂・安楽:この句ではそれらがすべて等号で結ばれており、仏教の究極的ゴールを詩的に一文で言い切っているともいえます。
つまり、何かを求める心がすべて止んだときにこそ、本当の満足がある――それが仏教の逆説的な「幸福論」なのです。
💼ビジネスにおける適用
観点 | 適用内容 |
---|---|
過剰思考からの解放 | 複雑化した情報や判断の中で、行き詰まったときは「考えない勇気=静けさの力」が発揮される。 |
“何かを得たい”から離れる意思決定 | 「この行動は何を生み出すか?」ではなく、「何も加えず、あるものを受け容れる」視点が、平和で持続可能な選択を生む。 |
沈黙のリーダーシップ | 説得ではなく、静かに佇むことで場をまとめ、信頼される存在へと成長する力。 |
創造よりも終息が必要な場面の識別 | 問題が解決しないのは、新たな“つくる力”ではなく、「止める力」が足りない場合もある。終わらせる知恵を持つことが真の管理力。 |
✅心得まとめ
「考えず、求めず、ただ静かにあること――それが至上の安らぎ」
苦しみを止めようとする努力さえも、
ある時点で手放さなければならない。
思考を超え、執着を離れ、
ただ静かに存在するところにこそ、
言葉にならない“安楽”が満ちている。
この句は『感興のことば』全体の締め括りにふさわしい、最終の悟り=涅槃の定義句とも言える内容です。
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