目次
📖引用原文(日本語訳)
二二*
生じたもの、有ったもの、起ったもの、作られたもの、形成されたもの、常住ならざるもの、
老いと死との集積、虚妄なるもので壊れるもの、
食物の原因から生じたもの*、
それは喜ぶに足りない。
🔍逐語解釈と用語の意味
表現 | 解釈 |
---|---|
生じたもの/有ったもの/起ったもの/作られたもの | すべて「因縁」によって生起した現象。時間とともに必ず変化・崩壊する。 |
形成されたもの(有為) | 条件付きで構築されたすべての存在(物・感情・思考・関係)。 |
常住ならざるもの | 一時的で不変でないもの=無常。 |
老いと死との集積 | 生じたものはすべて、老いて死に至る運命にある。五蘊そのものが「死の予告」であるという意識。 |
虚妄なるもの/壊れるもの | 実体がなく、執着しても必ず裏切られる。幻想であり壊れゆく本性をもつ。 |
食物の原因から生じたもの | 物理的な食物だけでなく、欲望・執着・感覚刺激など“依存する何か”に支えられている条件付きの存在。 |
喜ぶに足りない | 一見魅力的でも、本質的な満足にはなりえない。真の喜びの対象とはなり得ないという覚醒の目。 |
🧘♂️全体の現代語訳(まとめ)
この世界に現れるすべてのもの、
すなわち「生まれ」「存在し」「起こり」「作られ」「形づくられ」たものは――
どれひとつとして永遠ではなく、老いや死とともに消えゆく宿命を持ち、
実体なき幻想としていつか壊れる。
食欲・依存・執着によってかろうじて保たれているそのようなものに、
真の喜びを見出すことはできないと説かれている。
💡解釈と現代的意義
この句は、**現象世界そのものへの覚醒的幻滅(nibbidā)**を促す仏教の根本思想です。
私たちは日々の生活で「これが手に入ったら嬉しい」「これさえあれば安心」と思う対象(モノ・地位・人間関係・快楽)を追い求めます。
しかし仏陀は言います:
「それらはすべて壊れるものであり、依存によって一時的に保たれているに過ぎない。
だから、それに“喜び”を求めてはならない」
ここでの「喜ぶに足りない」とは、失望しなさいという命令ではなく、目を覚ましなさいという慈悲の警告です。
💼ビジネスにおける適用
観点 | 適用内容 |
---|---|
価値観の見直し | 「昇進」「利益」「称賛」などに執着しても、それらはすべて一時的で変化する。過剰に期待せず、永続しないものと知ることが心の安定につながる。 |
変化への受容性 | 物事が崩れることを前提にすることで、逆境や損失にも冷静に対応できる。戦略も組織も“壊れる”という事実から始めれば、柔軟な設計ができる。 |
過剰な依存のリスク回避 | 他人の評価・成果・ポジションに依存しすぎると、それを失ったときに苦しむ。依らず、備える意識が持続力を生む。 |
“本質的な満足”を追求する指針 | 一時的な達成感ではなく、「継続可能で深い価値」を追い求める思考へとシフトすることで、ビジョンある行動が生まれる。 |
✅心得まとめ
「それは壊れる。それゆえ、真の喜びとはならない」
有為なるすべて――生まれ、育ち、やがて壊れるものに、
永遠の価値を見出してはならない。
心がその本質に気づいたとき、
“それ以外のもの”を求め始める――それが解脱のはじまりである。
この句は、前の二一*「無為なるものの存在が、出離を可能にする」と密接につながっており、
「何が“喜ぶに足りない”のか」を知ることで、「何が真に喜ばれるべきか」が浮かび上がる構造となっています。
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