目次
📖引用原文(日本語訳)
一七*
見られたことは見られただけのものであると知り、
聞かれたことは聞かれただけのものであると知り、
考えられたことはまた同様に考えられただけのものであると知り、
また識別されたことは識別されただけのものであると知ったならば、
苦しみが終滅すると説かれる。
🔍逐語解釈と用語の意味
表現 | 解釈 |
---|---|
見られたことは見られただけのもの | 見た対象に意味づけや評価を加えず、ただ「見た事実」として受け取る。 |
聞かれたこと/考えられたこと/識別されたこと | 同様に、「聞いた音」「浮かんだ思考」「判断されたこと」に対して、“それ以上”のストーリーや自己同一化をしない態度。 |
ただ知る(ヨータッブァ) | それを「私の見たもの」「良い/悪いもの」などと執着せず、純粋な知覚・認識にとどまること。 |
苦しみの終滅(ドゥッカ・ニローダ) | 執着が消え、「自我」からの自由が得られたときに訪れる解脱の境地。 |
🧘♂️全体の現代語訳(まとめ)
「見たこと」はただ「見た」という現象にすぎず、
「聞いたこと」も「考えたこと」も、
それらはすべてただ一度、そう認識されたという事実でしかない。
それに意味を加えたり、執着したり、自己と結びつけなければ、
苦しみは自然と消えていくと説かれている。
💡解釈と現代的意義
この句は、「ありのままに知る」ことの力を説いています。
私たちは通常、物事を「見た・聞いた・考えた」ときに:
- それにラベル(良い/悪い)を貼り、
- 自分との関係性を持ち込み(これは私に関係がある)、
- 感情を引き起こし(好き・嫌い・不安)、
- そして執着や苦しみを生み出します。
しかし仏教では、五蘊の作用(見る・聞く・考える・識別する)は“ただの働き”であって、そこに実体はないと説きます。
この非同一化された観察の態度が、
「自分がそれを経験している」という錯覚=苦しみの根本的原因を断ち切るのです。
💼ビジネスにおける適用
観点 | 適用内容 |
---|---|
冷静な情報判断 | 「誰かがこう言った」と聞いたとき、即座に反応するのではなく、「それは単に言われた言葉」として事実を把握することが、感情的誤解を避ける鍵となる。 |
ストレス軽減の技法 | 否定的なフィードバックやトラブルに「意味」を加えて苦しむのではなく、「事実だけを見る」ことで、心の揺れを最小限にできる。 |
マインドフルな意思決定 | 過去の思考・判断に縛られず、「今ここで何が起きているか」を純粋に観察する力が、ブレない選択を支える。 |
非個人化による組織力強化 | 「あの人に言われた=私が否定された」と思わず、発言の内容だけを受け取ることで、感情の対立ではなく建設的な議論ができる。 |
✅心得まとめ
「物事に意味を加えなければ、心は波立たない」
見たものは、ただ見たもの。
聞いたものも、ただ聞こえたもの。
思ったことも、ただ心に浮かんだだけの現象。
私たちの苦しみの多くは、「そのあとにつけ加える意味」によって生まれています。
それを手放せば、すでに苦しみは終わっているのです。
この句は、ヴィパッサナー瞑想・マインドフルネス実践の核心を静かに伝えてくれるものでもあります。
コメント