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真理は、そばにあるのではなく、心の中に映る


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■引用原文(日本語訳)

一五
愚かな者は、生涯賢者たちに仕えても、真理をはっきりと知ることがない。かれには明らかな知慧が無いからである。
――『ダンマパダ』


■逐語訳(意訳を含む)

  • 愚かなる者(理解力・洞察力を欠いた者)は、
  • たとえ一生、賢者のそばに仕えて学んでいたとしても、
  • 真理を明確に知ることはできない。
  • それは、彼に「明らかな知慧(はっきりと真理を見抜く智慧)」が備わっていないからである。

■用語解説

  • 愚かな者(バーラ):単なる無学者ではなく、自我・頑迷・無省察・無実践に陥っている人。
  • 賢者(パンディタ):真理を知り、かつそれを実践する智慧者。師・導き手の象徴。
  • 仕える(セーヴァ):近くに仕え、学びを受ける行為を含む。
  • 真理(ダンマ):生きる上での普遍的な原理・道理・智慧。
  • 明らかな知慧(ヴィニーヤ・パンニャー):物事の本質を捉え、真理に到達できる理解力。感情や執着を越えて真実を見抜く力。

■全体の現代語訳(まとめ)

真理とは、ただ優れた人物のそばにいれば自然に得られるものではない。
いかに偉大な師の近くにいても、そこに学び取る知慧、自己を見つめる心、柔らかな感受性がなければ、何も得られない。
“学ぶ器”がなければ、水は注がれても溢れるだけなのだ。


■解釈と現代的意義

この章句は、「知慧のない者は、学びの機会があってもそれを活かせない」という厳しいが真実の教えです。
学びとは、受け手の「心の準備・明晰さ・自省」がなければ何の効果ももたらさない。これは現代における教育、ビジネス、研修、日常の対話すべてに通じます。
つまり、真の成長とは“外から与えられるもの”ではなく、“内から湧き出る姿勢”によって生まれるのです。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
社員教育どれだけ質の高い研修を提供しても、「学ぼうとする心」が本人にない限り、結果は得られない。
リーダー育成自分の考えや行動を見つめ直す習慣を持たない者は、そばに良い指導者がいても成長しない。
組織開発環境整備だけでは不十分。各人が「受け取る器=知慧」を育てることが組織の進化を支える。
自己啓発成功者の真似をしても、根本的な思考や精神性が伴わなければ、形だけで終わってしまう。

■心得まとめ(感興のことば)

「学びとは、そばにいることではなく、真に見る目を持つこと」
賢者の近くにいることが重要なのではない。
そこから何を見て、何を学び、どう生きるか――それこそが知慧の働きである。
“教え”は、与えられるのではなく、掴みにいくもの。
だからこそ、心の目を開き、見ようとする者にこそ、真理は訪れる。


この章句は、一三〜一五章までの「学びの質と姿勢」を象徴的に締めくくる内容です。

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