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触れていても、味わわなければ意味はない


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■引用原文(日本語訳)

一三*
愚かな者は、生涯賢者たちに仕えても、真理をはっきりと知ることが無い。
匙が汁の味を知ることができないように。
――『ダンマパダ』


■逐語訳(意訳を含む)

  • 愚かな者(理解力や自省を欠く者)は、
  • たとえ一生、賢者のそばにいて仕えていたとしても、
  • 真理の本質や教えの意義を、はっきりと理解することができない。
  • それはちょうど、スープに浸かったスプーンが、その味を感じることがないようなものである。

■用語解説

  • 愚かな者(バーラ):知識や学歴の有無ではなく、内省・探求心・実践力が欠けている人。自ら学ぶ姿勢がない者。
  • 賢者たち(パンディタ):真理に通じた導師・智者・人間的完成者。
  • 仕える(セーヴァ):表面的な付き従いではなく、本来は学び・模倣・奉仕を含む関係。
  • 真理(ダンマ):仏教における宇宙的・倫理的な普遍原理。生き方や考え方の根本となる教え。
  • 匙が汁の味を知らない:接してはいても、内部に取り込まなければ意味がないという象徴。

■全体の現代語訳(まとめ)

どんなに賢者のそばにいても、どれだけ長く仕えても、真理を深く理解しようという心がなければ、何も得られない。
スープに浸かったスプーンが味を感じることがないように、単なる“接触”だけでは、内面の変化は起こらない。
学ぶ者の「心の深さ」「吸収力」があってこそ、教えは真に身につくのである。


■解釈と現代的意義

この章句は、「学ぶ者の心構え」に関する強い警告です。どんなに優れた師や環境があっても、受け取る側に“学ぼうとする姿勢”がなければ、知識も経験も通り過ぎるだけで意味を成さない。
これは現代社会にも通じるメッセージです。名門校に通っても、著名な師のもとにいても、自らの内側が閉じていれば、得られるものは何もない。
つまり、「教える者の質」だけではなく、「学ぶ者の感受性」が成長の鍵なのです。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
OJT・研修優秀な先輩や研修制度があっても、学び取ろうとする意欲がなければ成果は得られない。
人材育成指導者の質だけでなく、被育成者の“内発的動機づけ”を育むことが必要。
組織風土「良い文化」を掲げていても、それを理解・実践しようとする意識がなければ形骸化する。
自己啓発書籍やセミナーに参加するだけでは不十分であり、それをどう“実生活に落とし込むか”が成長の分かれ目。

■心得まとめ(感興のことば)

「器に触れるだけでは、水は得られない」
真理は、そばにいるだけでは得られない。
学ぶとは、触れることではなく、染み入らせること。
スプーンは汁に浸かっても味を知らない。
私たちは、心を開き、味わおうとするとき、初めて何かを本当に学ぶのだ。

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