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毒ある者に近づけば、無傷でも毒される


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■引用原文(日本語訳)

一〇*
つき合っている悪人は、悪に触れられているが、また他人に触れて、悪をうつすであろう。毒を塗られた矢*は、筒の束のなかにある、毒を塗られていない矢をも汚す。悪に汚れることを恐れて、思慮ある人は、悪人を友とするな。
――『ダンマパダ』


■逐語訳(意訳を含む)

  • 悪人はすでに悪の影響を受けており、
  • その者と接することで、他者にも悪がうつっていく。
  • まるで毒を塗られた矢が、矢筒の中で無垢な矢に触れ、毒を移してしまうように。
  • だから、思慮ある人は、自らが汚されることを恐れ、悪人とは交友を結んではならない。

■用語解説

  • 悪人(パーパ・プルシャ):倫理観に欠け、習慣的に悪行や有害な言動を行う人。
  • 毒を塗られた矢(ヴィシャ・サンニヒタ・シャラ):外見は同じでも、見えない危険を内包した存在。
  • 矢筒(シャラ・クート):共にある環境・グループ・コミュニティの象徴。
  • 汚れる(マラ):精神的・道徳的に濁り、純粋さを失うこと。
  • 思慮ある人(パンディタ):洞察と判断力を持ち、未来への影響を考慮できる賢者。

■全体の現代語訳(まとめ)

悪しき人と交われば、たとえ自分に悪意がなくても、その影響から逃れることは難しい。
毒の塗られた矢が他の矢を汚していくように、悪は見えないうちに伝染していく。
だからこそ、知恵ある者は「悪人の隣にいることで自らも悪と見なされ、また染まっていく」ことを恐れ、交友を慎重に選ぶのである。


■解釈と現代的意義

この章句は、「悪の伝播性」と「環境の選択」の重大性を説いています。
現代においても、職場・学校・ネット空間など、あらゆる場所で人は人と接触し影響し合います。その中で、品性や価値観の低い人物と関わり続けると、行動・言葉・考え方において知らず知らずに影響を受け、自らの判断や道徳が蝕まれることがあります。
この教えは、「たとえ自分が正しくあっても、環境によってはその正しさが損なわれてしまう」という、実に現実的で強い警鐘なのです。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
社内風土管理一部の不正・不誠実を放置すると、健全な社員にも「これくらい許される」という空気が広がる。
人間関係の慎重さ反社会的勢力や不正義のある人物とのつながりがあれば、個人も組織も社会的信用を一瞬で失う。
ブランド保護信用あるブランドでも、悪質な取引先との提携により一気にイメージが損なわれるリスクがある。
リーダーの自律リーダーは特に、誰と関わり、誰に影響を受けているかを明確に意識する必要がある。周囲が見ている。

■心得まとめ(感興のことば)

「毒ある者と交われば、無毒でも毒と見なされる」
外見では清らかでも、悪に交わる者はその影響から逃れられない。
見えぬ毒は、そっと染み入り、やがて己の香りを変えていく。
だからこそ、真に思慮ある者は、自らの徳を守るために、人間関係を選び取る。

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